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カスタマーサクセス・ディベロップメント -「コピペ提案」から脱却し、新たな成功実績を創る- <前編>

ーー BtoB SaaSでカスタマーサクセスに挑む全ての方へ ーー

 いま、「カスタマーサクセス」への注目が益々高まっている。Google検索数や人材求人数などの指標は持続的に増加しており、その勢いは未だ留まるところを知らない。

 しかし、カスタマーサクセスの実践に関して、どれほど実用的な知見が蓄積・共有されているであろうか。ヘルススコア、テックタッチ、コミュニティ、PLGなど、分かりやすく先進的な印象を与えるような「手段・方法」だけが先行して喧伝され、本質的な議論がおざなりになってはいないだろうか。

 この記事は、BtoB SaaSのカスタマーサクセスチームが果たすべき役割について、実用的な知見の提供を目指したものである。特に、「新たな成功実績を創出することこそが重要」であるとの主張を軸に、その背景や実践する上でのポイントについて論じている。<前編>と<後編>の二編に分かれており、<前編>では主にカスタマーサクセスチームに求められる役割の概要について、<後編>では各ステップを実践する上でのポイントについて解説している。

0. カスタマーサクセス活動の目的

 本来、カスタマーサクセス活動の目的は、「顧客が求める成果の創出」と「SaaS事業の持続的な成長」を同時に実現していくことだ。つまり、顧客に対して、短期での価値提供と、中長期での価値提供の両方を行うことだ。

図1. カスタマーサクセス活動の目的

 なお、これらは相互に影響する。顧客が求める成果を創出した実績が増えることで、それが新規契約や追加契約の土壌となり事業の成長に繋がる。一方で、事業が成長するからこそ、プロダクト開発、人員強化、サービス改善などの追加投資が可能になり、中長期で顧客に提供できる価値を高められる。

 そして、上述のカスタマーサクセスの目的を実現していくためには、顧客の成功実績の幅や深さを発展させていく活動が欠かせない。その理由や背景について、以降で順を追って説明していく。併せてカスタマーサクセスチーム現場で求められるアクションのポイントや考え方について、実践的な枠組みを提供していく。

 では、まず初めに「SaaS事業の持続的な成長」を実現していく上で、必要な論点の整理から紹介していきたい。

なお、今回は文中で分かりやすさを重視して、やや振り切った表現にしていたり、根拠の紹介を積極的に行っていなかったりするが、その点はご容赦いただきたい。

1. SaaS事業の持続的な成長に必要なこと

1.1. SaaS事業における収益の構成要素

 SaaSベンダーの主な収益は「経常収益(Recurring Revenue)」と「一時収益(One-time Revenue)」の2種類に区分できるが、サブスクリプションビジネスの本流として経常収益を伸ばしていくことが特に重視される。SaaSベンダーのビジネス現場では「ARR(Annual Recurring Revenue:年間経常収益)」「MRR(Monthly Recurring Revenue:月次経常収益)」といった結果指標を改善するための議論が日々行われている。あくまでもARRとMRRの違いは集計期間のみであるため、以降では「MRRの向上」に向けた考え方・活動を念頭に置いて議論を展開していく。

 MRRを構成する主要変数は以下の図のように分解できる。以下図のように「社数」と「単価(ARPU:Average Revenue Per User)」に大別した上で、図の右側に記載しているような指標に落とし込んでモニタリングやマネジメントに利用される。

図2. MRR(月次経常収益)の構成要素

 上図のうち「新規受注社数」と「新規受注単価」はセールスチームが、「解約率」と「受注後増減額」はカスタマーサクセスチームが、それぞれの責任範囲として数値を追っていく体制が一般的であろう。ただし、そのような役割分担をするにせよ、各指標を変動させる要因は各チームの担当領域に留まらないため、チーム間の連携が重要となる。

1.2. MRRの増減をもたらす顧客の意思決定

 ベンダーから見た顧客全体のMRR数値は、当然ながら、個別の顧客の数字の積み上げである。したがって、MRRの増減を紐解きこれを管理するには、個社の意思決定ロジックを参照することが有用だ。

 そして、顧客各社が、SaaS等のサービス利用に関する意思決定を行う際には、大別すると下図のような3つの分岐点がある。すなわち、「1. 利用判断」「2. 製品選定」「3. プラン選択」という3つの分岐点だ。

図3. MRRの増減に関わる顧客各社の意思決定の分岐点

 MRRの減少を抑制し増加を促進するには、上図の各分岐において顧客が青色の線の方の選択をする機会を増やすことが必要だ。なお、サービスの導入のタイミングのみならず、見直しのタイミングにおいても各分岐は再検討され得る。つまり、ベンダーは常にリスクとチャンスが隣合わせにある。

 そして、上図の各分岐における意思決定は、それが意識的であるか無意識的であるかは別にして、それぞれ他の手段との相対比較の上でなされる。すなわち、各分岐で取りうるもう一方の選択肢と比較し、期待される「付加価値」が高い方を顧客は選択する。例えば、「2. 製品選定」の局面においては、検討している競合製品と比較して、期待される付加価値が相対的に優れていると判断された場合に、自社製品が選ばれる。

1.3. 顧客による付加価値の評価

 ここで、付加価値とは、「投資コスト」と「効果・便益」の差分を指す。下図の通り、投資コストにはサービス利用料のみならず、導入/教育コストや運用/管理コストなどの視えにくいものも含まれる。また、効果・便益についても、以下図で記載しているような様々な観点が考えられる。

図4. 付加価値とは

 ただし、実際に顧客が付加価値を評価する際には、理論上の内容が全て正しく伝わるとは限らない。いやむしろ、全て正しく伝わることなどほとんどないと言った方が正しいかもしれない。以下図で紹介しているように、複数の関係者が携わることで理解のブレが生じたり、個々人の前提知識や感情などによって左右されたりする部分も少なくないことに留意されたい。

図5. 価値評価のブレ(理解のブレ・評価判断のブレ)

1.4. 解約の意味

 ここまでの議論を踏まえ、具体的に「解約」という事象の解釈について補足しておきたい。図3で整理したように、解約は当該カテゴリーの製品を利用しなくなるか、もしくは同業他社の製品を利用するというような場合に生じる。さらに具体的な解約理由の内容に踏み込むと、以下図の右側で示しているような理由が考えられる。

図6. 解約の意味

 解約の要因は様々なパターンが存在するが、共通するのは最終的に顧客が「このまま利用継続することが最善だと思えない」との結論に至るという点だ。つまり、未来に対する評価が介在した上で、解約という評価判断をするのである。また、顧客が導入後に十分な価値を実感できていなければ、未来に期待を持てなくなる温床になる。しかしながら、裏を返せば、導入後に実績を出せていないからといって即座に解約という判断がなされる訳ではなく、顧客が未来に期待を持つことさえできれば、解約は防ぐことができる。(その具体的手法について、今回は本筋から話が脱線し過ぎるので省略するが、要望があれば別の機会に紹介したい。)

1.5. 顧客が期待する付加価値を高める

 上記の解約の構造に関する議論も踏まえると、「付加価値」は三種類に区分して考えるのが良いであろう。すなわち、「今後どれほどの付加価値が得られると"試算"されるか」という理論価値、「過去どれほどの付加価値が"実際に得られた"か」という実績価値、「今後どれほどの付加価値が得られると"期待"できるか」という期待価値の三つだ。

 そして、前述の通り、意思決定に直接影響を及ぼすのは「期待価値」である。理論価値と実績価値は、期待価値を強化する役割を担う。

図7. 期待価値が意思決定を左右する

2. 実績を創り、キャズムを越える

2.1. 実績価値が成長を加速させる

 ここまで、顧客の意思決定を左右するのは期待価値であることを説明してきた。そして、顧客各社からの期待価値を膨らませていくためには、実績価値が重要となる。新規顧客が導入する際には他社の実績を、既存顧客は自社と他社の実績を参照し、未来の期待価値を膨らませる。逆に、実績が十分になければ、自分たちが得られる付加価値を具体的にイメージしにくく、またその確証も得られにくい。

図8. 実績が期待価値を強化する

 特に、事業フェーズとして初期市場での導入がある程度浸透し、メインストリーム市場に挑んでいくというようなフェーズにおいては、実績価値の重要性がより際立つ。

2.2. アーリーマジョリティに実績を示す

 キャズム理論によると、メインストリーム市場で初めに対峙することになる「アーリーマジョリティ」の顧客での導入・浸透を進めることが非常に難しく、この初期市場とメインストリーム市場の間に立ちはだかる大きな溝がキャズムと呼ばれる。

図9. キャズム理論の概要
※出所:東大IPC「キャズム理論とは?キャズムが発生する理由、越えるための7つのポイント」
(https://www.utokyo-ipc.co.jp/column/chasm-theory/)

 初期市場の顧客(イノベーターとアーリーアダプター)においては、自社の競合企業との差別化のために、先進的なサービスを先駆けて導入しようとする動機があり、実績や期待価値が安定しない状況でも採択されることがある。

 しかし、「アーリーマジョリティ」に属する顧客は「実利主義者」とも称され、実績が乏しいプロダクトやサービスを積極的に利用しようとはしないことがキャズム理論では指摘されている。そこで、同理論においては、アーリーマジョリティの中でも具体的にターゲットを定めたうえで、そのターゲットの顧客が求める価値の全体をカバーするようなプロダクト&サービス(ホールプロダクト)を提供し実績を創っていくことが重要だとされている。

キャズム理論についてのより詳細を知りたい方は以下書籍を参照されたい。なお、以下書籍のタイトルが「キャズム2」となっているが、前の版から事例がアップデートされていて内容はほとんど同じため、「キャズム2」だけ読めば十分だ。

2.3. 価値を実現するストーリーを語る

 ただし、どれだけ実績が積み重なった状況においても、基本的に「未来は神のみぞ知る」であるが故、「その顧客が本当に付加価値を得られるのか」という点については、一定の不確実性が残る。

 そんな中でも、顧客に新規契約や追加契約の意思決定に踏み切って頂くためには、価値を実現するまでのストーリーを語ることが重要だ。顧客が抱える課題が、どのような方法・取り組みによって、どの程度解消されるのかについて、一連のストーリーを説明するのである。またここで、同様の実績を持つ同業他社の実績があると、そのストーリーの信憑性が高まるため、未来への期待価値を高めて頂ける可能性がグッと高まる。

図10. 価値実現ストーリー

3. カスタマーサクセスチームの役割

3.1. 成長サイクルを回し続ける

 ここまでの議論をまとめると、SaaSベンダーがMRRを飛躍的に向上させていくためには、顧客からの期待価値を最大化させていくことが重要であり、そのために過去積み重ねてきた実績価値とそのストーリーが期待価値を支えるエネルギーとなる。
 つまり、SaaSベンダーは過去に培ってきた実力と実績をもとに、顧客からの信頼・期待を勝ち取り、新たな機会・資金を得て、さらなる実力・実績の形成に繋げる。そのようなサイクルを高速で回し続けていくことこそが、MRR向上の鍵である。

図11. 事業成長サイクル

3.2. 二種類のカスタマーサクセス活動

 繰り返しになるが、いかにして実績を創り出し、それを拡げていくか、ということが極めて重要である。その点を踏まえると、カスタマーサクセスチームが担うべき役割は、以下図のように整理できる。

図12. カスタマーサクセス開発とカスタマーサクセス浸透

 一般に、成功実績をいかに横展開していくかという「カスタマーサクセス浸透」の活動にフォーカスが当たりがちな印象がある。これはいわば、過去に創出した実績の焼き増し、つまり「コピペ提案」である。もちろん、この活動も非常に重要であるが、これだけでは進歩がなく中長期の価値を最大化できない。これだけではなく、新しい成功実績のパターン自体を創り出す、「カスタマーサクセス開発」に取り組んでいくことが重要ではないだろうか。

3.3. 新しいナレッジを創り出す

 ナレッジマネジメントにおいて、一般に「ナレッジが社内できちんと"共有"されているか」は各メンバーからも認識しやすい問題で注目されやすい。しかし、共有だけしていても組織的な進歩はない。ナレッジ自体を創り出すことが求められる。

 いま、私たちがお客様に「ご支援できること」「ご提供できる価値」は、過去の実績や学習の積み上げによるところが大きい。個人としても組織としても、ケイパビリティの向上こそが、LTVを引き上げる。「過去お応えできなかったご要望やご相談に対して、現在どれだけお応えすることができるか」これが、自社のカスタマーサクセスの進歩を測る重要な問いの一つである。

前編の内容は以上です。最後までお読み頂きありがとうございました。次の後編では、上記の図12に記載の「カスタマーサクセス開発」と「カスタマーサクセス浸透」を実践していく上で、抑えるべきポイントを解説していきます。以下のリンクより、ぜひお読み進めください。

また、ここまでお読みいただいた内容で、少しでも参考になった部分や、思考の整理にお役立て頂けた部分がございましたら、「いいね」や「SNS投稿」をして頂けたら嬉しいです。なお、内容に関する質問や議論も歓迎しておりますので、TwitterのDMなどでお気軽にお声がけください。

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