スタートアップ起業家になりたいという病~ワナビー君の末路とその先~
「大事を成す人間になりたい」
そんなことを思うようになったのは自分の名前の意味を知るようになった頃だろうか。
大きいに志すと書く私の名前は私の生きる道標になった。
小学生の頃にハマった公文式は全国4番になり、小学6年生で微分積分を解いていた。
9歳から始めたラグビーは環境に恵まれ、高校の頃に全国大会ベスト4になれた。
浪人の末、日本最高学府には落ちたけれど、名門と言われる私立大学に入れた。
大学では日本一を目指せる組織でラグビーをやった。またベスト4だった。
就活は大してやらなかったが、大手の自動車会社に入ることができた。
簡単に言うなら上昇志向で、常に人と競い、その競争を勝ち抜いてある程度の成績を残しながら、いつか自分は世界を驚かせるような人間になりたい、そんなことをぼんやり思いながら自分の名前をなぞって生きていた。
大学の頃だったか、スティーブ・ジョブズのiPhone発表会の映像に衝撃を受けた。彼のこれまでの功績を調べては映像を観返した。競争を勝ち抜くのではなく、新たな価値を生み出したい。この人みたいになりたい、純粋なのか馬鹿なのか、そう思った。
普通みんなが羨むであろう大企業での生活はそんな"ワナビー"には絶望だった。毎日誰にも見られることがないであろうエクセルを作る仕事は、「こんなはずじゃない」という思いを自分の内に累々と積み上げていくのに十分な時間をくれた。
そんな時に目に止まったFacebook広告「セブ島で無料でエンジニア留学♪」。直感で応募した。びっくりするくらいすんなり面接を通過した。俺が落ちるわけないよね、合格通知を見ながら自意識と自尊心が高まりに高まった自分は、さも当然のように結果を受け入れ、新卒入社の会社を退職した。
留学後にそのまま入ったゲーム会社での日々はこれまでの中だと一番つらかった。たった半年プログラミングを勉強してきただけの人間に通用するような仕事などなく、半べそかきながら、これは成功への修行期間だ、なんて思いながら仕事した。それでも数年経つ頃には仕事に慣れた。また巨大になった自意識と自尊心が顔を出し、さあついに大事を成す時間ではないかと、20代後半に差し掛かった自分に語りかけた。
そんな折、シンガポール帰りで転職を考えていた商社の先輩に一緒に起業しないかと誘われた。運命のラグビーボールは念じれば自分の方に跳ね返ってくるのか、なんて思った。ついにスティーブ・ジョブズへ至る道への登山開始だ。自分の心の中でホイッスルが鳴った気がした。
別にスタートアップ起業家になりたったわけではないが、スティーブ・ジョブズもイーロン・マスクもマーク・ザッカーバーグも、憧れる人はみんなスタートアップの創業者だった。自分の中の"ワナビー"は最高潮に達した。
結果は燦燦たるものだった(※他noteに記載)。技術も中途半端、人間力も中途半端、やりたいことも自分の内から生まれたものではない。どんなに市場が味方しようとそんな人間に勝利が転がってくるわけがない。私のこれまでの人生がどれだけラッキーだったのか実感した。ただ受験戦争で少し上位にいたくらいで日々何かを身につけてきたわけでもない自分は、裸で戦場に立っているようなものだったし、裸で戦うことすらしなかった。
なにか大きなことをしたい?スタートアップ起業家として大きな会社を創って有名になりたい?そんなの小学生の卒業文集の一節と変わらないではないか。人の成功をなぞって憧れるだけで、自分の心の声を全く聴いていなかったし、心の声を噛み砕いて理解してもいなかった。当然行動もあとに続かなかった。
「会社を成功させる一番の要因は何か?」お世話になっている社長に聞いた時、「センス」と社長は答えた。その時聞き流していたその答えが今は少しわかる。
自分の心の声聞き、周りの・社会の心の声を聞いて新たな価値を創造する、その過程に必要なのはセンスであり、それはアーティスト活動のようなのではないだろうか。センスを磨き、人間力をつける、その作業の先にしか会社を経営するスキルは身につかないのではないだろうか。
「失敗はサイエンス、成功はアート」
オンデーズの田中社長の言葉だったと思う。自分の心の声をエンジンにし、失敗を学び、最後は自分が正解だと思ったことを信じて実行する、起業家に必要なのはそんな日々の作業なのではないかと思う。私には信念も行動も何一つなかった。何より一番なかったのは自分が何やりたいのかを聴く能力だ。
全てを失くして、いや信頼できる家族、友人以外の全てを失くして今思う。毎日自分の心と向き合おう、と。それは別に起業のようなだいそれたことをしなくてはいけないわけではないし、心の赴くままにポテチとコーラを昼間から飲み食いして怠惰に過ごせということでもない。朝、顔を洗って飯を食い、仕事と向き合って、疲れ果てて家に帰り、自分の好きなご飯で晩酌して自分のご機嫌を取って寝て、次の日をまた向かえる。その日々を続けることで生活を豊かにし、センスを磨き、人間力をつける。これを毎日続けることがどれだけ難しいか。ワナビーだった私が小馬鹿にした満員電車に揺れて通勤する人たちの中にそれにしっかり向き合えている人たちがたくさんいるであろうことに気づいていなかった。それがどれだけ尊いことかということも。
それに気づけた時、私の「スタートアップ起業家になりたいという病」は寛解に向けて小さな一歩を進みだしたのではないだろうか。
おそらくこれは慢性疾患だ。完治などない。死ぬまで自分と向き合うのだ。そこに向き合うと決めた自分の心拍は、不思議とどこか弾んでいた。
そういえば憧れのスティーブ・ジョブズの名スピーチにこんな一節があった
『私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。』
私が死ぬ思いでたどり着いた結論は、最初から彼のスピーチの中にあったのだ。
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