「禍」を「渦」と書く人を、笑っている場合じゃない。
日本語は本当に難しい。
「美人」という単語を見た時、100%の人が「びじん」と読むであろう。少なくとも私は、日本ではそのように発音するという認識で過ごしてきた。小説やネットで自然と学んだ「美人」と名がつく単語も、「びじん」とルビをふって覚えてきたのだ。
それが覆ったのが、忘れもしない社会人1年目の冬。時は2017年であるから、某感染症なんて知る由もなく、満席のオフィスで先輩や上司と喋りながら仕事を進めていた時だ。
会話の中でふと、同期が「結婚相談所でセールスっぽい女性と会った」と話したので、私はこんな発言をした。
一瞬間が空いて、同期は気まずそうにPCに向かった。思いもしない反応に「?」マークを浮かべていた私に、上司は苦笑いしながら言った。
…ほとんどの方がお気づきかと思うが、社会人1年生で知性の足りない青年は、「美人局(つつもたせ)」を「美人局(びじんきょく)」と読んだのである。
今思えば、ニュースやドラマで(びじんきょく)なんて耳にしたことはないし、同義で(つつもたせ)という言葉を耳にする機会はあったと思う。けれど、それが結びつくほどの知性や勤勉さが、当時の私にはなかったのだ。
本件は、会話していた全員が苦笑していたので、私の不出来が一番の原因であることは認めよう。しかし、しかしだ。
「美人局」で(つつもたせ)は、ルールを逸脱しすぎてないか?
例えば、「一期」を(いちご)、「逆手」を(さかて)、「心中」を(しんじゅう)なんて読むのは、まぁ理解できる。間違えて覚えていても、耳にしたときに「あ、こう読むんや」と訂正することも、比較的容易だろう。
では、「美人」のどこに、(つつ)または(つつも)要素があるのか。
こんな初見殺しな単語があってよいものか。ウォロのギラティナ、アカネのミルタンク並みに初見殺しだ。どうやってマグマラシで雌牛の”ころがる”を受けきれと言うのだ。
上司の一言で”ひんし”になった私は、後学のために美人局の読み方について調べた。ネットで調べれば何でも出てくる。嘘を嘘と見抜ける人間にとっては、本当に素晴らしい時代になったものである。
以下、美人局の読み方について。
…日本語むずすぎやろ!!!
元々は、漢字通り(びじんきょく)と呼ばれていたようである。時代が違えば、私の発言は苦言を呈されるものではなかったのではなかろうか。
ではないのだ。
元々サイコロ博打のことを言ってたのなら、そのままでいてくれればよかったのに、何故意味が広がってしまったのか。その上、何故漢字はそのままで、読み方だけ変わってしまったのか。納得いかない of the year(2017)受賞である。
その後も、悪手を(あくて)、琴線を(ことせん)と間違えるムーブにより、知性のなさを周囲に知らしめてきた私であるが、最近とある言葉に目がいくようになった。
そう。掲題の「禍」である。
某感染症に付して「C○VID-19禍」なんて言い方を各ニュースではしているし、社内メールでも記載されるようになった。さすがの私も意味を調べて、こんな言葉が一般的に使われる状況ってやばいな程度には危機感を持っていた。
そんな中、一通のメールが社外から送られてくる。
「C○VID-19渦において、訪問の規制が…」
一瞬見過ごしそうになった。調子の悪い日の私(ex:アルセウス購入後、完徹した翌朝)であれば、あるいは見過ごしていたかもしれない。しかし、たまたま調子の良かった私は、「禍」が「渦(うず)」と記載されていることを確認した(Confirmed)。
これはあれだ。デジャブというか、同族だ。
入力ミスではなく認識ミス。アウトプットではなくインプット。本件に至った直接の原因である脳の伝達回路まで、よくよく理解できる。
他人の誤字に触れ、頬が緩みかけた瞬間、瞼の裏に過った。
あの日の上司の苦笑。(びじんきょく)が話題を潰したことによる、同期の無念。由来を調べた時のあの憤り。
ここで笑ってはいけない。他人のミスは、将来の私のミス。
人間は間違えてしまう生き物であり、失敗が肥料となり水となるのだ。
いつかあなたに、ラフレシアのような花が咲くように。
返信メールに「C○VID-19禍にて恐縮ですが…」と追記して、送信したのであった。
結論。日本語は本当に難しい。
文章を書いている中でもたくさん誤記があるだろうが、それは全部日本語がむずいからである。そう、日本語のせい。あるいは、レジェンズアルセウスをやりすぎたせい。
めっちゃ面白いから暇ならどうぞ。では。