子宮全摘出(開腹術)の記録(手術まで)
1)子宮全摘出手術に至るまで
入院経験も手術経験も出産経験もないまま40歳を過ぎ、生理もそんなに重くもなく、あと何年かしたら生理も来なくなるのか、早くそうなったらいいな。っていうくらいで過ごしていた当時。。。しかしそうは問屋が下さなかった。
2020年(42-43歳)頃、生理の時の出血量が増え、健康診断で貧血の治療を指導される状況に。量が増えているのは明らかだったので、生理が軽くなるような治療を希望して婦人科を受診した。MRIなどの診察を受けた結果、子宮筋腫(この時は目立つものが7個くらい、ということだった)のせいで月経過多になっていること、最初希望していたミレーナという生理の出血量を低減させる器具の挿入は、自分の場合は効果がないだろうこと、などから様子見に。(今思えば、この時なぜ様子見にしましょう、というのを受け入れてしまったのだ自分!という感じだけども。。。)健康診断でも貧血が悪化していることが指摘されていたし、鉄剤を飲んでいたとは言え、貧血の原因になっている子宮筋腫を様子見、というのは今考えれば無しな判断だったなぁ。と反省。
様子見を半年くらい続けていたけれども、何も改善せず、むしろちょっとずつ月経がひどくなっていく(何もしてないので当然なんだけど)。ただ、生理のタイミングと出張のタイミングがうまく合わずに、日本にいる期間に丁度よく通院できるタイミングがなかなか来ない。(それに、婦人科に行くのはやっぱりちょっと面倒だという気持ちと診察を受けるのが嫌だという気持ちが心のハードルを上げる)そんなふうにしていても、生理用品を組み合わせて使ってもダメになった頃に、もう様子見してるところじゃないな。子宮摘出かな。と心を決めて婦人科へ。
2022年後半、もう、生活や仕事に支障が出ているので、子宮摘出を前提に準備したいんですが、と伝えたところ、ではまず薬を試してみますか?と。
心の中では、え、なんで最初から処方してくれなかったの?という気持ちはありつつも、まだ子宮摘出に対して迷いはあったので、試してみることに。
薬飲み出したら、流石に改善し、目から鱗状態に。ただ、半年くらいしたらまた薬を飲み出す前のような状態に戻ってしまい、さらに悪化しているのを感じた2023年後半(薬を飲み始めてから1年後くらい)にやっぱり摘出します。って、もうやっと、という感じで子宮摘出への一歩を踏み出した。
2)子宮全摘出ができる病院へ転院
通院していた婦人科では手術はできないということで、手術が可能な大学病院を紹介してもらう。2024年4月初旬に初めて通院。通っていた婦人科からは「多分、初診から3−4ヶ月くらいで手術受けられると思いますよ。」と言われていたが、実際に行ってみると最初希望していた腹腔鏡手術だと、9ヶ月後(手術の予約を入れたのが4月で、最短で12月と言われた)ということ。えー、そんなに?という気持ちはあったけど、まぁ仕方がないので仮予約を。
大学病院の初診の時に、その時点から2年前くらいに撮ったMRIの結果を持って行ったが、流石に時間があき過ぎているということで、外部の検査機関であらためてMRIを撮影し、初回の診察から約1ヶ月後に2回目の通院。
そしたらなんと、昔のMRI(7つほど子宮筋腫があり、子宮の大きさが普通の1.5倍くらい)の状況から、子宮筋腫の数30個以上、大きさが、通常の3倍くらい?おへそよりも上まで来ている状態、とてもじゃないけど腹腔鏡じゃ摘出できません。と言われるサイズ。どんな大きさでも腹腔鏡でやってくれるところもあるから、そういうところを探す手もあるみたいだったけども、海外出張の合間に新しい病院を探して、また検査受け直して、というのはちょっと現実的じゃないと考えて開腹手術に切り替えてお願いすることに。
幸い、開腹術だと手術のタイミングが少し早くなる、ということで9月最後の週に予約を入れ直す。ああ、これで、やっと月経の度に出血と戦う日々との終止符に向けてとカウントダウンが始まる。という前向きな気持ちで受け止めることにした。
それにしても、転院してからは、貧血という大きな問題があるので、子宮を摘出をお勧めします、と医師からもきっぱり言ってもらえて、貧血の度合いはもっとひどい時もあったのだけど、最初に言っていた婦人科ではそこまで断言してもらえなかったことに、今更ながらではあるけど疑念が湧いた。というのも、自分の気持ちとしては子宮摘出するんだろうな、というのは2年くらい前からほぼ決まっていたのだけど、家族からはあまり賛同してもらえていなかった。最終的に決めるのは自分なんだけども、家族からのサポートも必要になるだろうし、できる限り理解してもらいたいという気持ちもあって結論を先延ばしにしていたのは事実。もう少し違う言い方をされていたら、家族への説明もしやすかったかな、と今更ながら思う。もちろん、手術となると仕事の調整も必要だし、よっぽどひどくならないとな、、、と思って先延ばしにしていたのは自分自身だから、最終的には自分の責任なんだけれども。
3)手術に向けたホルモン剤の服用の効果と意外な副作用
2024年5月の2回目の通院の時に、すでに処方されているホルモン剤(ジェノゲスト)が終わったら、更年期の状態を作り出して子宮の大きさを小さくしていく、という薬(レルミナ)に切り替える、という方針で、内服薬を処方される。この、レルミナという薬、更年期の状態を作り出すというだけあって、副作用もあり、ホットフラッシュや頭痛などが出る人もいて、飲み続けられない人もいる。そして、6ヶ月以上飲み続けると骨密度が下がる可能性もある。
そして、なんといっても、副作用じゃないけどお高い。毎日一錠飲むのに、薬剤の原価がなんと800円。3割負担で3ヶ月分支払うと、20,000円超える。。。
服用も結構面倒で、朝一の食前かつ、最後に食べ物を食べてから6時間以上経過している時に服用し、飲んだ後30分は食事不可。飲んでいいのは水だけ。これ、結構面倒で、なかなかストレスだった。
あと、地味にきつかったのが、ジェノゲストからレルミナに切り替わるタイミングの時の生理。いわば、どちらの薬も効いていない状況で出血量が最大の期間が来たため3日間くらい、それも海外出張中にそのタイミングが来たのはなかなか辛かった。。。この時は、レルミナが効き始めると、生理も来なくなるということがよくわかっておらず、次にこんなことになったら困るので医療用の過多月経用のナプキンを購入したり、なんでもこい!な気持ちで次の生理を待ち受けたのだが。。。レルミナを飲み始めて1ヶ月経過した頃から、もう生理もなくなって、この薬飲んでる限りは生理来ないなら、それでもいいかもー。。。と思うくらい、生理がないって本当に天国!という状態に。まぁでも、お臍より上まで膨張している子宮のMRI映像が頭から離れず、やはりこうなったら子宮は摘出するしかない、と自分に言い聞かせる。
レルミナ服用中にもう一つ辛かったのはホットフラッシュ?と思われる、大量の発汗。もしかしたら、薬は関係なく猛暑のせいかもしれないけど、ちょっと動くだけで尋常じゃない汗が。元々そこまで汗かく方じゃないんだけど、半端じゃない汗っかきがずっと続いた。。。
その他、副作用なのかはわからないけれど、膝や足の裏、腰に痛みが出てきた。今思えば、膝以外は薬の副作用ではなくて子宮がいろんな臓器と癒着していた結果なのかも知れないけど、本当に閉経したらこんなふうになるのかなぁと、想像したりしてみた。
4)手術日の決定と準備
手術日は2週間前くらいにならないと決まらず、その2週間前には最終検査を受ける必要がある、ということだったので逆算して出張の日程などを調整し、手術日が決まるのをまった。
手術が決まる前に、入院期間は1週間程度、手術後1ヶ月で通院して経過を確認し、問題ない場合はその後の出張は可能。という説明を受けていた。会社にもそう伝えて、問題がなければ最速で12月に出張は入れられそう、と話していたのだけど。。。手術日が決まり、前日に入院して執刀医との最終面談を行った時に、「手術の後3ヶ月は出張してほしくないですね。」と、大幅な予定変更に。まぁもうこうなったら、言われることにただただ従うしかない。そしてもうこの頃には、主治医の指示によって、この出張は無理です、という説明が、水戸黄門の印籠のような説明文句となっていた。
入院の準備は、いろいろな人のブログや家族の経験談を聞いてしたけど、一つだけ退院後に読んだブログに書いてあった持ち物でこれは!というのものがあった。
それは、
靴べら(柄が長いやつ!)。
手術後は、無理のない範囲で歩行するように言われるのだけど、滑らない靴が必要。普段はなんでもなく履ける靴なんだけどもお腹を切った後だと前屈みになるのも足を持ち上げるのもかなり辛い。これはほんと、手術する人にはおすすめ。
そのほかの準備としては、手術前日に麻酔医の説明、剃毛、臍の中の掃除をしてもらって、シャワーを浴びた後に夕方に下剤を飲み、夜9時からは絶食絶飲。当日の朝には人生初の浣腸をし、手術に挑むのだった。