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無声映画『The Art of the Benshi 2024 SHINJUKU』を鑑賞して

2024年9月13日の夜、無声映画(トーキー映画)『The Art of the Benshi 2024』新宿公演が行われたので鑑賞してきました。

無声映画(トーキー映画)とは、まだ映画製作技術が未発達だった20世紀前半に上映された、音声がない(つけることができない)映画を上映する際、スクリーンの横にセリフを話す弁士と音楽を奏でる楽士がスタンバイし、上映と同時にその場でセリフと効果音を含む音楽を当てていきます。映像技術が飛躍的に向上してCGやVRも当たり前に使われる現代において、むしろ臨場感あふれる生演奏と抑揚や息遣いの一瞬まで伝わってくる対面だからこその迫力満点のナレーションは贅沢を感じます。

この希少価値のある活動を現在も続けてこられ、アメリカでも公演していることに驚くとともに、アメリカの無声映画は楽士のみで弁士はいなかったらしいです。そこで弁士を加えた無声映画ということで公演を行い、無声映画の再発見のように注目も浴びているようです。実際、同じ無声映画でも、弁士の方が代わるだけで全く違う映画を見ているように感じます。声を当てるタイミングに抑揚、それにセリフ自体が異なるときもあります。つまり弁士の方の映画の解釈がストレートに反映されるので、様々な見方があることを知らされ興味深いです。また弁士の男声と女声で受け止め方も違ってくるのも面白いです。

今宵の上映作品は当時有名だった3作品。25分程度の短編2作品『Dog Heaven』と『Sweetie』はコメディで笑えるシーンがたくさん。『Dog Heaven』は主役が犬なので、犬の表情に当てたセリフが面白かったです。『Sweetie』は喜劇のような構成で子役の表情が豊かでした。

後半は70分程度の川端康成が構成した作品『狂った一頁』。こちらは前半2作品と打って変わって目まぐるしい展開に考えさせられる構成。川端康成の文学的な評価の詳細は存じ上げませんが、主役の夢と現実を頻繁に行き来するので何が夢で現実なのかわかりにくく、それが狙いなのでしょう。弁士のセリフにそれを匂わせる発言もあったかと記憶しています。また舞台が精神病院というのもあり、主役は精神病院から妻を解放させようとしますが、主役の夫は妻に過去DVをしており、それが発症の原因とも解釈できます。とは言え、病院で豹変し一向に改善の兆しがない、むしろ悪化しているような妻を見ていると・・・。妻の視点から見た夫・患者・医者の振る舞いも目まぐるしく展開され、今でもまだ余韻が残っています。

無声映画(トーキー映画)の存在は大学の時に知りましたが、実際に上映を見たのは今年になってから。過去の歴史だったものをこのように大切につなげているのは素敵なことだと実感できた夜でした。

公演の概要は下記リンクから。


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