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それがエデンの果実でも:再生産総集編「少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」感想

※この記事はTVアニメ「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」および劇場版「少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」のネタバレを含みます。

自己整合語としての「ロンド・ロンド・ロンド」

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ロンドとは、日本語では輪舞曲と表記され、辞書的には、同じ旋律(=主題部)を何度も繰り返す楽曲形式を意味する音楽用語である。主題と主題の間にはエピソードと呼ばれる異なる旋律が挿入され、その態様によってロンドはさらに大ロンド形式と小ロンド形式に大別される。前者にはメンデルスゾーン『夏の夜の夢』より『結婚行進曲』、後者にはラヴェル『亡き王女のためのパヴァーヌ』などの作品が分類される。
元来はフランス語で「繰り返し句を含む定型詩」を指すこの単語は、本質的には循環構造を意味しており、同語で”rond”は現在も「円形」を表す。

そして「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」においてロンドは、孤独にして天賦の才と歪な優しさを兼ね備えた少女・大場ななによる運命の舞台、第99回聖翔祭へと至る幸福な日々の”再演”を指す。

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いつしか終わる繰り返し。過去への執着から輪廻する運命。
それが本作の文脈において「ロンド」が指し示すものだ。

そして「ロンド・ロンド・ロンド」とは、TVアニメ「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の総集編である本作に些か唐突に付け加えられた副題であり、その初出はTV版の第7話「大場なな」における劇伴曲のタイトルであった。

このフレーズが本作のタイトルに据えられたことを知ったとき、私が抱いた率直な印象は「大場ななを主軸にしたリバイバル」というものだった。
再演の主・大場ななの視点によって再編集された物語。眩しくて届かない過去への憧憬とその脱却に焦点を当てたファンムービー。
公開2日目となる8月8日、私はそんな先入観を持ちつつ勝手に物足りなさを覚えながら、真夏の炎天下に自宅から2時間かけて劇場へ足を運んだ。
しかし私を含めたファンの人々を劇場で待ち受けていたのは、一見するとさも模範的な「総集編」の体裁を保ちながらも、明らかに異質な改変を施され数々の矛盾と疑問を巧妙に増築された、異形の新作映画であった。
まさしく「観たはずの舞台なのに、我々の知らない舞台」だったわけだ。

本作の鑑賞を終えて3週間ほどが経ち、ある程度は思考を整理できた今となっては、上述の予想は完全なるミスリードだったと言わざるを得ない。
そして同時に、「ロンド・ロンド・ロンド」という副題に込められた本当の意味を、次のように解釈せずにはいられなくなった。

ロンド・ロンド・ロンドとは自己整合的な重層構造、つまりメタフィクショナルな意味での入れ子式の再演構造と、その在り方そのものを表す概念だ。
なぜなら「繰り返し」を表す”ロンド”自体を繰り返すという言語的構造は、自己整合的であると同時に自己言及的———言い換えればオートポイエーシス的であり、その特性は本作の内容や在り方そのものだからだ。

だが本作のそうした性質について触れる前に、まずはそもそもTVアニメ「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」とはどのような作品であったのか整理しておきたい。

劇が劇中劇を模倣する

舞台女優を目指す少女・愛城華恋は、演劇の名門校である聖翔音楽学園で俳優育成科に所属し、同じ志を持つ第99期生の仲間たちと共にレッスンに励む充実した日々を送っていた。彼女の原動力は幼い頃に”運命を交換”した少女・神楽ひかりと共に憧れの舞台『スタァライト』に立つという夢だった。

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『スタァライト』は2人の少女と6人の女神が織り成す美しくも悲しい物語だ。運命的な出会いを遂げて惹かれ合った2人の少女・クレールとフローラは、1年に1度の星祭りで再会することを約束する。2人は16歳になった日に約束通り星祭りの夜に再会するが、クレールはフローラに関する記憶を失くしていた。記憶を取り戻すため星摘みの塔を訪れた2人は、500年に渡って塔を守ってきた女神たちの抵抗により傷つきながらも、塔を登りながら互いに絆を結んでゆき、遂には頂上に辿り着く。2人は星々に手を伸ばして永遠の願いを手にしようとするが、星の光に目を焼かれたフローラは光を失い塔から落ち、クレールは星を摘もうとした罪を償うために塔に幽閉された。それが戯曲『スタァライト』の悲しい結末だ。

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華恋をはじめとしたクラスメイトたちは、1年に1度の聖翔祭を共に創り上げる仲間であると同時に、主役の座を勝ち取るために熾烈に競い合うライバルでもあった。何の因果か、華恋たちが聖翔祭で演じるのは3年間ずっと戯曲『スタァライト』だった。
そんなある日、ロンドンの名門校に留学していたはずのひかりが華恋のクラスへ転校してくると同時に、学園地下で開催されるという秘密のオーディションへの参加を促すメールが一部のクラスメイトに届くようになる。
オーディションは言葉を操る観客・キリンによって開催され、参加者は演者の「キラめき」に呼応して作動する舞台装置のもとで決闘形式で行われる”歌とダンスが織り成す魅惑の舞台”、「レヴュー」の勝敗を通じて選考された。
レヴューに最後まで勝ち残った舞台少女はあらゆる才能を開花させ時を超えて輝き続ける永遠の主役・トップスタァとなり、自らが望むどんな舞台にも立つ権利が与えられるという。

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レヴューの最中で窮地に陥ったひかりを助けるため無断で乱入した華恋は、9人目の参加者として正式に認められオーディションの招待を受けるようになるが、首席・天堂真矢に敗北してしまう。華恋の軽率さに憤慨したひかりは学園を飛び出し、華恋は彼女を追って東京の街を彷徨い歩く。華恋はその果てに約束の場所である東京タワーへ辿り着き、再会したひかりと12年間の隙間を埋めるように語り合いながら幼い頃に結んだ約束を再確認して改めて絆を深める。それから2人はオーディションに一緒に合格することを目指すようになり勝利を重ねて行くが、その中でこのオーディションを含めた1年間が大場ななによって何度も繰り返されたループであることを知る。
中学時代を孤独に過ごしたななはこの学園で初めて経験した舞台・第99回聖翔祭『スタァライト』の魅力に囚われるあまり、オーディションに参加する度に合格者となっては第99回聖翔祭を仲間たちと創り上げた1年生の頃の幸福な日々の再演という「運命の舞台」を繰り返していたのである。

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一方ひかりも実は既にロンドンでキリンのオーディションに参加した経験があり、その落選を通じて真のルールを身をもって知っていた。
オーディションの合格者はトップスタァとなり運命の舞台に立つ資格が与えられるが、落選した他の全ての参加者はその舞台を叶えるための燃料としてキラめきを奪われる。ひかりが帰国した真の目的は、再びオーディション参加して合格することでキラめきを取り戻し、華恋との約束を果たすことだったのだ。
再演に拘るななはキラめきを再生産したひかりに敗れると、最大のイレギュラーが彼女ではなく華恋であることに気づきレヴューで激突するが、変化を恐れず貪欲に最高の舞台を目指す華恋に対して敗北を認め、変わりゆく99期生たちの魅力に抗えない自分自身に気づくとともに再演が途切れる。
そして迎えたオーディション最終日、華恋とひかりは天堂真矢と西城クロディーヌのペアに挑み勝利するが、オーディションは決着せず2人を乗せた舞台装置が再び駆動し始め、そのまま最終レヴューに突入する。

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複数人での合格が認められないことを悟ったひかりはキラめきを取り戻すことを諦め、自らが勝者となり運命の舞台の燃料を1人で差し出すことで華恋を守ることを選択する。果たしてひかりは自らの運命の舞台に閉じ込められ、華恋はひかりを失い塔から落ちて、2人は離れ離れになってしまった。

戯曲『スタァライト』に魅了され、舞台の道を登り詰める夢を分かち合った2人の少女が、奇しくも戯曲そのものとも言うべき悲劇の運命を辿る筋書きは、ひかりがロンドンの演劇学院に通っていたころに演じていた『マクベス』を連想させる。
『マクベス』はシェイクスピアによる4大悲劇の1つであり、魔女の予言に人生を狂わされた男の数奇な運命を描いた戯曲だ。

劇中劇が劇を駆動する

しかしご存じの通り、彼女たちの物語にはまだ続きがある。
ひかりを失った華恋は彼女を取り戻すべく奔走するが、成果を得られないまま数ヵ月が経過しその喪失感からキラめきを失ってしまう。オーディションに参加した舞台少女たちは全員がひかりの選択によってキラめきの搾取を免れていたが、華恋だけがその在り処をひかりとの約束に定めていたため彼女の不在は舞台に立つ動機を失うことと同義だったからだ。
歌にも演技にも身が入らない華恋の姿にクラスメイトたちは戸惑い、見かねた裏方の生徒はとうとう代役を当てる案まで考え始め、第100回聖翔祭の配役までもが危ぶまれてしまう。しかし華恋はひかりが消息不明となった真の理由を戯曲『スタァライト』の洋書の中に見つけると、彼女の運命の舞台に乱入する。

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キリンに見守られながら1人きりで『スタァライト』の虚無なる再演を繰り返すひかりを目の当たりにして、華恋はその舞台を真っ向から否定しレヴューを開幕させるが、クレールとして贖罪を誓うひかりに敗れて観客席に戻されてしまう。しかしフローラとして再び塔に登る新たな結末を演じ始めると舞台装置が華恋に応え、永遠の別れで幕を閉じた戯曲の存在しない結末の続きが始まる。運命の舞台を再生産した2人は悲劇の舞台から解放され、第100回聖翔祭の舞台ではクレールとフローラを演じて遂に約束を果たすのだった。

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劇が劇中劇を模倣する物語で、退場した演者が劇中劇の結末の続きを創造して劇の運命を改変する。これこそがアニメ「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の特筆すべき物語構造であるともに、同作のメッセージだったはずだ。
すなわち古い自分を燃やす代償として再生産という名の進化を遂げ、新たな運命を切り開くこと—――この世界を舞台に見立て、「死ん」で「生まれ変わる」ことで自然選択説から逸脱しようとする生き様の提唱である。

再生産:選択的淘汰への叛逆

華恋は作中で幾度も「舞台少女は日々進化中」という言葉を口にするが、それは単にたゆまぬ努力で自らを磨き続ける高い目標意識の顕れというよりも、蓋し舞台少女だけに許された再生産の本質を表している。
進化とは本来、ある生物種においてその生存ないし繁殖に有利な形質を持つ個体がより多くの子孫を残すことで、世代間で伝達される形質が累積的に変化することを意味するのであって、個体に生じる現象ではない。
キリンの首が長いのは高い位置に生えた草を食べようと首を伸ばしたからではなく、首が長い個体ほど高い位置に生えた草を食べることができたため、その形質を継承した子孫だけがキリンとして存続したからである。
ところが華恋は自らの身に起こる継続的な変容を「進化」と表現し、さらにななとのレヴューではこう語った。

どんな舞台も一度きり その一瞬で燃え尽きるから
愛おしくてかけがえなくて 価値があるの
一瞬で燃え上がるから
舞台少女はみんな舞台に立つ度に新しく生まれ変わるの!

夢に浮かされ何かに没頭した経験のある者なら誰しも捨てられない過去の栄光があるだろう。その経験が誇らしく、充実した達成感を得られたものであればあるほど「あの日」の自分を超えるのは難しくなる。
だから過去の全てを犠牲にしてでも自分ではない何者かになろうと足掻くのは並大抵のことではない。自分史上最高を更新し続ける本当の辛さに我々は耐えられない。だから舞台が幕を閉じる度に一度「死ぬ」必要があるのだ。自分ではない次の自分が、自分が辿り着いた高みを超えていけるように。
届かなくて眩しい過去に囚われ、今を生きる辛さから目を逸らしている間にも冷淡に時は過ぎ、やがて取り返しのつかない破滅を迎える。
前進しないものは後退していく。停滞は存在せず、淘汰されるのみなのだ。

劇が「劇中劇を模倣する劇」を模倣する

だが皮肉にも、華恋たちの一度きりのキラめきは観客を魅了し過ぎた。運命で結ばれた9人の舞台少女の物語は、その眩しさから新たな再演を招いたらしい。私がそう考える根拠は本作に付け加えられたTV版からの「修正点」の数々にあるが、その多くはファンの方々によって考察済であるから、ここでは特に決定的な描写のみに言及する。

(1)時間軸的に不自然な会話

RONDO2
(前略)
なな「華恋ちゃん、このオーディション───」
キリン「このオーディションに合格した方には」
キリン「トップスタァへの道が開かれ」
キリン「運命の舞台に立つ資格が与えられるでしょう」
キリン「───お久しぶりです。大場ななさん」
(後略)

本作ではレヴューの舞台となる地下劇場の一角と思しき場所でキリンと大場ななが会話するシーンが5つ追加されたが、その最初のシーンでキリンの口から奇妙な台詞が飛び出した。
キリンとななの再会が「久しぶり」なのだと言う。
その事実は本作が属する時間軸を考察する上で極めて重要な意味を持つ。我々の知る限りでは、大場ななは第99回聖翔祭に至る1年間を再演し、それを華恋たちに破られた。もしこの台詞が1年ぶりの再会を意味するのであれば一応筋が通るように見えるが、同シーンでななが神楽ひかりが留学から帰国して聖翔音楽学園のオーディションに参加した事情を理解しているかのような発言をしていることを踏まえると、このななは我々の知る結末を経験した後の存在であることは間違いなさそうだ。
そうであればななの役割は見た目通り劇場で映画を観ているファンを再編集された物語に引き込むためのストーリーテラーということになる。その場合、ななが作中の時間軸でずっと未来の存在であるか、あるいは「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の新作アニメが2年ぶりであることにキリンが第4の壁を超えて言及しているかのどちらかしかない。

(2)レヴュー曲のパート変更

<絆のレヴュー>
なな「繋がったの星の絆 いつまでも守るよ」

ところが華恋とななが対峙する「絆のレヴュー」で雲行きが怪しくなる。
私は正直言って自分の耳がおかしくなったのかと思ったが、あろうことかななが華恋の歌詞を奪っていたのである。レヴュー曲とはオーディションで対峙する舞台少女同士が言わば本音をぶつけ合う即興曲で、その歌詞は担当するキャラクターの動機や夢に強く関係する。
「繋がったの星の絆 いつまでも守るよ」とは、ななの「大切に守っていたいだけ」、そしてひかりの「もう一度繋ぐ星の絆 奇跡起こせる」に対する華恋からの回答であり、ななが歌うのは不自然だ。
この時点で本作が、TVアニメのシーンを巧妙に継ぎ接ぎしながら見かけ上は巧妙に総集編を装いつつ、実際には我々が全く知らない新しい物語であることに気づかされる。

(3)救われた後に再演を繰り返したような発言

RONDO5
(前略)
なな「ありがとう、純那ちゃん」
なな「あなたが私を救ってくれた」
なな「あなたがいてくれたから、私は何度でも繰り返すことが出来た」
キリン「再演という名のロンドを」
なな「ロンド?」
キリン「ロンド」
なな「ロンド・ロンド・ロンド」
(後略)

そして種明かしと言わんばかりにななの口から零れるのがこの言葉だ。
ななは星見純那による救済、つまりTV版第9話で見たように変化していく舞台少女の魅力を自ら体現して見せた純那の姿に納得して再演の終わりを受け入れた出来事よりも後に、さらなる再演を繰り返していることを告白したことになる。しかもその再演のことを、自ら「ロンド・ロンド・ロンド」と名付けている点も無視できない。

(4)未知のオーディションの存在

<舞台少女の死>
(前略)
キリン「観客の望む、新章の続き」
キリン「舞台が求める新たな最終章」
【ななのスカートから、7つのボタンが落ちる】
キリン「ワイルドスクリーンバロックを」

そして迎えたエピローグに、運命の舞台から解放された華恋とひかりが第100回聖翔祭の主役を務めるのを見届けた後で、本作で最も衝撃的な映像が唐突に流れ始める。
舞台少女たちの血にまみれた凄惨な姿が映し出されたかと思うと、7人分のボタン—――舞台少女たちの上掛けを留める、レヴューの敗北によって失うボタンをなながスカートから振り落とし、映画は幕を閉じる。

この幕切れをもって大場ななが我々の知らない新たなオーディションに参加していることがようやく明示され、しかもその「続劇」を観客たる我々が引き起こしたと語られるとともに本作のロンド・ロンド・ロンド的な性質がはっきりと立ち現れる。
すなわち我々が目の当たりにした2時間の舞台は「劇中劇を模倣する劇」が自らを模倣した劇だったのだ。大場ななは確かに再び運命を輪廻しているが、再演しているのは彼女自身ではない。「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」が自らを再演しているのである。
誤解を防ぐために言うと、この映画が劇オチという意味ではない。
華恋たちが『スタァライト』を模倣したように、作品自体が華恋たちを模倣しているのだ。

野生化するレヴュースタァライト

コメント 2020-08-30 010132

だが戯曲『スタァライト』は作者不明だ。作者が分からない創作物は如何様にでも解釈できる余地がある。作者の意図は言うに及ばず、その人格や主義主張、他作品との関係といった作品世界の外側にあるあらゆる枷から解放された、完全に自由な虚構だからだ。
創造主による正解が提示されないまま幾度も上演されてきた『スタァライト』はオリジナルなきコピーだ。その結末の続きを創造した華恋は運命を果たしたが、その行き着く先は提示しなかった。「新しい永遠の物語」とだけ高らかに宣言し、その開演をもって華々しいエンドロールとしただけだ。
どんな物語もその結末が美しいほど観客を虜にして、永遠であろうとする。初演の感動を超えられない宿命から目を背けて美しかったままの姿を保とうとする。その結果、物語は停滞し舞台少女たちは絶滅した。彼女たちを殺したのは、究極的には観客である我々なのだ。
だから今後は物語が自ら再生産する。選ばなかった過去たちを燃やして、何者でもない少女たちがこの大きな舞台で主演になるために。
それがエデンの果実でも、星に手を伸ばさずにはいられない運命なのだ。


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