天使狩り
太陽照り付けるロゼンウェル庄の広大なる農耕地帯に清らかな風が吹く。その一角、幾何学模様の描かれた麦畑の上、不自然に捻じ曲げられた麦を踏みつぶしながらグリンザールは駆けた。その姿は正しく死に神の如し。ぬばたまの髪を流し、濃緑のフォロゼ外套をなびかせた彼は焦げついた異臭を切り裂き無慈悲なる曲線たるラーグニタッド刀を眼前の敵へと振り下ろす。
「……チイッ!!」だがその刃は肉を切り裂く事無く。膝程の高さを浮遊する<ウスフォス=オスの天使>は直立不動のまま滑る様に無慈悲なる曲線の外側に立ち、その白い手に握った奇怪な機械の先端をグリンザールへと向けた。
次瞬、機械の先端から円環状の低速光線が三つ放たれる。グリンザールは麦を踏みにじりながら剣戟の速度を利用し一回転。かろうじて回避に成功するが……偶然後方で草を食んでいたロゼンウェル牛にそのような機敏な動きは出来ず、無防備に光線を浴びる。その後数秒間牛は何の痛みも感じずに草を咀嚼していたが…………突如として全身の体液が沸騰し、悲鳴を上げる間もなく破裂爆発四散した。
「…………」だがグリンザールはその様に視線を向ける事無く、眼前の<ウスフォス=オスの天使>を睨みつける。彼の半分も無い背丈、大きすぎる頭部に黒一色の瞳。身に纏う衣服はウデン鋼の如き鈍色であり、その体表に性差を示すような凹凸はない。それはこの地域一帯に古くより伝わる民話そのままの姿であり、あまりにもありうべからざる、異形の存在である。
しかしそのような伝説を前にしても、グリンザールの内にあるのは自身と言う剣を赤く染める怒り、そして地に墜ちた鳥を無慈悲に打つ冷たい雨の如き殺意だ。浮世離れしているかのように宙を滑る<天使>の様が、彼の全てを殺害へと注力させた。眉間に皺をよせ乱雑な黒髪の間から覗かせた蒼い瞳から殺意を迸らせる彼は体勢を低くし右半身を曝け出して、決壊寸前の堰めいてその足に力を溜め込んでゆく。
グリンザールの脳裏には、その恐るべき殺意と並行して冷徹なまでの殺害者の思考が走っていた。先程のラーグニタッド刀による一撃。それを回避したという事は、転じて<天使>には斬撃が通じるという事だ。そして<天使>は矮躯である。
ならばやるべきは一つ。近づいて、斬る。それだけだ。
殺し二番型。トゥヴェイク師が特に好んだ捨て身の突進斬撃。グリンザールの知る隻腕剣術においてこの場に最も適した技。自身に、ゼウドのゼイローム・ボウガンのような飛び道具があればこのような苦労も無かっただろうが…………。
グリンザールはそこで<天使>に意識を向けたままその思考を殺した。今それは考えるべき事では無い。自らの内の思索を、要素を削減し精神を研ぎ澄ませて行く。頭の中に渦巻く魂からの殺意と憤怒を受け止める為に。
「┏┓┏┫━┛」天使は何事かを呟いた。グリンザールは聞く耳持たぬ。ただ力を溜め込み、時を待つ。その時間は、彼には似合わぬ静謐さであった。だがそれは、師の如き幽玄の域に無く、故に死に物狂いで神秘に相対し、ヒトに対するための技で神に類するものを殺戮し続けて来た、彼にこそ体現出来得た静寂であった。
その時。ぶちまけられたロゼンウェル牛の遺体へと死臭を嗅ぎ付けた一羽の鴉が飛び来たった。彼は向かい合う銀の天使と呪われた隻腕剣士を一瞥するが、すぐに興味を失って目の前の死肉を啄む。肥沃な農耕地帯を食い荒らす害獣であるロゼンウェル牛は同時に最高級の穀物を喰らい肥え太った肉牛でもある。その肉と臓腑の味は彼にとって溜まらないご馳走だったのだろう。鴉は啄んだ肉を飲み込むと、カアと満足げに声を上げた。
瞬間、グリンザールが飛び出す。天使が手にした物を掲げる。放たれた死の光輪、それを腰を折った麦に同化するか如く姿勢で潜り抜けたグリンザールが二番型の曲線を振るい、宙に座した天使の胴は煌めく銀色の血液を噴き出しながら断ち割られた。
<了>