引きずらない性格
僕は、自分自身を引きずらない性格だと思っている。
良かったことも悪かったことも「済んだこと」として片付ける節があるのだ。
だけど、反省は人一倍するようにしている。
そもそも自己否定と劣等感が非常に強い僕であるので、自分の振る舞いをもっと良くできないものかと考えながら、日々を過ごしている。
しかし、「引きずらないのに反省はするって矛盾してない?」と、不思議に思う人がいるのではないだろうか。
僕に言わせれば矛盾はしていない。
そう考える理由は、「反省」と「後悔」という似て非なる2つの言葉に対する、僕なりの使い分けが関係している。
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まず結論から言おう。
ズバリ、それぞれの言葉がもつベクトルの違い。
これこそが、僕がその2つの言葉の使い方を分ける基準である。
2つの言葉は「過去を振り返る」という点で共通している。
しかし、その後どこにその結果を向けるかという点に違いがあると僕は思っている。
その2つの言葉を僕がどのように使い分けているかをより具体的に示すと、
「反省」=「過去を振り返ることによって、先の行動をどうすべきか考えること」
「後悔」=「過去を振り返ることによって、過去の行動をどうすべきだったか考える(悔やむ)こと」
となる。
詰まるところ、僕はあまり後悔しない人間なのである。
さらに言うと、「失敗は今後の成功のための糧になる」と考えて日々を過ごせるようになると、失敗に対する恐怖心が自然と結構減らせる。
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夏目漱石の言葉を借りるようで恐縮だが、僕も『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』と思っている。
冒頭でも述べたように、僕は自分をあまり肯定せず、他人と比べて劣る点ばかりを見ている。
こういう性格は、「反省」するのにとても都合がいい。
そして、自分の振る舞いが改善されているかどうかも「反省」して考える。
そのようにして、僕は自分の精神的な向上心を高い位置に保つように努めている。
後悔が不必要だとは思わない。
ただ、後悔は過剰になることがあるから危ないと僕は思っている。
その点、反省に過剰はないと思う。
だから僕は同じ「過去を振り返る」ならば「後悔」ではなく「反省」を選ぶという、それだけのこと。
「引きずらないけど反省はする。」
この奇妙な矛盾こそが僕のアイデンティティの1つなのかもしれない。
そういえば、この前あいつとケンカしたとき、僕は何かまずいこと言ってたかなぁ。
うーん、別の表現を探してみようかな。
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