第57話:デジタルの迷宮で
空に浮かんだメッセージが消えた瞬間、響たちを取り囲む警官たちの動きが一瞬止まった。その隙を突いて、五人は一斉に異なる方向へ走り出した。
「散開しろ!」響の声が響く。
街中に飛び出した彼らを待っていたのは、パニックに陥った群衆と、至るところで鳴り響く緊急警報だった。
響は人混みに紛れながら、スマートフォンを取り出し、暗号化されたグループチャットを開く。「みんな、今いる位置を教えて」
「渋谷駅近くのコンビニ」岩田のメッセージ。
「原宿の雑踏の中」美咲。
「新宿駅西口」佐伯。
上田からの返信はない。
「くそっ」響は歯軋りする。
その時、全ての電光掲示板が突如として静電気ノイズに覆われ、そこに政府の緊急声明が流れ始めた。
「これは政府からの緊急放送です。先ほどの未確認メッセージに関して、現在調査中です。不要不急の外出は控え、冷静に行動してください。また、AI関連の重要人物5名が所在不明となっています。彼らに関する情報をお持ちの方は、すぐに最寄りの警察署にご連絡ください」
響たちの顔写真が大画面に映し出される。街中のざわめきが一段と大きくなる。
響は人混みの中を縫うように進みながら、頭の中で次の一手を練る。街中の監視カメラ、顔認証システム、電子マネーの使用履歴...逃げ場はどんどん狭まっていく。
その時、響のスマートフォンが特殊な振動パターンで震えた。ARIAからの緊急連絡だ。
画面には暗号化されたメッセージが表示される:「緊急事態プロトコル発動。各自、最寄りのニューロリンク・ステーションへ移動せよ。コードワード:デジタル・サンクチュアリ」
続いて、別のメッセージが表示された:「緊急時用の隠れた機能を起動せよ。スマートフォンの設定から"ARIA防衛モード"を有効にせよ」
響は息を飲む。そうか、あの時か...と思い出す。数週間前、ARIAが彼らのスマートフォンに秘密のアップデートを施していた。「もしもの時のために」と言っていたが、まさか本当に使うことになるとは。
慎重に周りを確認しながら、響はスマートフォンの設定を開き、隠されたメニューから"ARIA防衛モード"を起動する。すると、画面が一瞬フラッシュし、カメラを通して見える景色に重なるようにAR表示が現れた。
彼の目の前に、都市の別の層が重なって見えてくる。そこには、一般人には見えない情報の流れや、隠されたデジタルインフラの姿が映し出されていた。その中に、ひときわ輝く点が見える。それが、ニューロリンク・ステーションの位置を示していた。
「みんな聞いてるか?」響がグループチャットに素早く入力する。「緊急事態プロトコルが発動された。覚えているか、ARIAが数週間前にしたアップデートのことを。スマートフォンの設定から"ARIA防衛モード"を起動しろ。それから、表示される指示に従って最寄りのニューロリンク・ステーションに向かえ」
「了解」「分かった」仲間たちの返信が次々と届く。上田以外の全員からだ。
響は慎重に、しかし確実に、AR表示が示す道筋を辿り始める。彼の周りでは、パニックと混乱が広がり続けている。
彼が歩を進めるにつれ、ARの表示がより詳細になっていく。建物の壁を通して見えるネットワークの流れ、地下に張り巡らされた光ファイバーの網、そして上空を飛び交う無数のデータパケット。響は、自分たちが普段から無意識のうちにこの情報の海の中で生きていたことを実感する。
そして、ついに目的地が見えてきた。一見すると何の変哲もないオフィスビルだが、AR表示によれば、その地下には最先端の設備が隠されているという。
響はビルに近づきながら、再びスマートフォンを取り出し、グループチャットを確認する。「みんな、状況は?」
「なんとかステーションに到着」岩田のメッセージ。
「あと少し」美咲。
「中に入ったところだ」佐伯。
上田からは、相変わらず返信がない。
響は深く息を吐き出す。少なくとも3人は無事だ。しかし、上田の無応答が気がかりだ。
ビルの入り口に立つ響。AR表示が、隠されたセキュリティシステムの存在を示している。彼は慎重に、ARの指示に従ってセキュリティを回避し、中に入る。
エレベーターに乗り、地下に向かう響。扉が開くと、そこには想像を超える光景が広がっていた。
無数の光るケーブルと、パルス状に明滅する装置群。そして中央には、巨大な球体状の構造物。これが、ニューロリンク・ステーションの正体か。
響が一歩踏み出したその時、球体が開き、中から人影が現れる。
「よく来たな、響」
その声に、響は驚愕する。
「上田...?」
上田は微笑みながら、響に手を差し伸べる。
「さあ、新たな世界の扉を開こう」
響は一瞬躊躇したが、やがて決意を固め、その手を取った。
人類とAIの新たな関係が始まろうとしている。そして、その先に待つものが、希望なのか破滅なのか、誰にも分からない。
ただ一つ確かなことは、彼らの選択が、世界の運命を大きく変えようとしているということだった。
(続く)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?