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現代日本における最大最悪の邪教


「邪教」とは

 あるたとえ話をします。

 あるところに「声を出したら死ぬ」と強力に信じ込まされ、絶対に声を出さないよう注意して生活していた人がいました。しかしある時声を出してしまい、そのショックで死んでしまいました。
 そんなことを信じなければ不自由な生活を送ることも無かったのに。ショック死することも無かったのに。

 もう一つたとえ話をします。

預言者「この世界には、目には見えないが「通貨の信認」や「財政の信認」や「国債の信認」というものがある。国の借金が増え続けるとこれらを失い、通貨価値や国債価格が暴落する。
 神様がそう言ったからこれは絶対に正しいです」
民衆「でも何十年間も国の借金が増え続けてますが通貨価値も国債価格も暴落してませんよね」
預言者「それはタイムラグがあるからです。何十年だろうと何百年だろうとタイムラグです。いつか必ず暴落します。なぜなら神様の言うことは絶対に正しいから」

 時が経つにつれ、予言者の言うことを多くの人が信じるようになり、「今この瞬間にも暴落するのではないか」と人々は不安な日々を過ごすようになりました。
 そしてある時ちょっとした出来事が起こり、人々はそれを暴落の前触れだと思い「ついに来た。お金が紙くずになる前にできるだけ早くお金を別のものに換えなければ」と、手当たり次第にものを買いまくりました。すると物凄いインフレ(通貨価値の暴落)になりました。
 また国債についても急いで手放そうとして投げ売りしたので国債価格が暴落しました。
 その結果社会は大混乱しました。

 そして彼ら(預言者&民衆)はこう言いました。
 「やはり神様の言ったことは正しかった。これからは国の借金を増やさないようにしなければならない」

 この様子を見ていた神様はつぶやきました。
 「そんなこと言ってないんだけどなあ。こいつらバカなんじゃないか?そんなの信じなきゃいいだけなのに」

 この2つ目の「預言者と民衆」のたとえ話のように「人々が信じなければそれが起きても問題はなく、信じていればそれが起きた時に人々に不適切な行動を起こさせ、その結果人々を不幸にする」というものを、ここでは「邪教」と呼ぶことにします(一般的な定義とはちょっと違うかもしれません)。

現代日本における「邪教」

(1) 例えば以下のいずれかが原因で、
・国債発行残高が2000兆円を超える
・債務対GDP比が400%を超える
・国債の利払い費が税収を上回る
・PB黒字化目標を撤廃する
・日銀が債務超過に陥る
・法改正をして財政ファイナンスをする
・法改正をして政府が国債の代わりに高額貨幣(例えば1兆円玉など)を発行してそれを財源とする
(2) 通貨の信認、国債の信認、財政の信認、市場からの信認、国の信用といったものを失い、
(3) その結果、円、国債、株が暴落する、という言説があり、それを多くの人が信じている、とします。

(4) この状況で(1)の事態が起きると、
(5) 人々が円や国債や株を投げ売りし、
(6) 円や国債や株が暴落して社会は大混乱に陥ることになります。
(7) 人々にはその恐怖があるため、「(1)の事態を回避することは正しいこと」とされ、支持されることになります。そして(1)の事態を招きかねないことに対しては本能的に拒絶するので、それについて冷静に考えるのが困難になります。そのため(1)の事態を容認する人は、基本的に何を言っても理解してもらえず、悪人や狂人のように見られて排撃されることになります。

 日本の財政に関して上記の(1)~(3)のような感じの言説(財政破綻論と呼ぶことにします)があると思います。これは(4)~(7)の状況を生み出すことに繋がります。

 しかし、そもそもこのような言説は(2)が無くても(6)は起きます。

 また(1)は以下のようなものでも(6)は起きます。
・日本が原発を新設する
・日本が核武装する
・日本の最高気温の記録が更新される
・国債発行残高が500兆円以下になる
・債務対GDP比が100%以下になる

 要するに(1)は何だっていいわけです。

 さらに、(1),(2),(3),(4)があっても(5)が無ければ(6)は起きません。

 つまりこれらの言説は、「理由はともかく、みんなが投げ売りすれば暴落する」というものが中心にあり、その周りをもっともらしいストーリーで覆っているに過ぎません。
 これに対する正しい対処法は、「(1)の事態を回避することではなく、これらの言説を世に広めないこと。もし信じている人がいれば、それを信じないようにすること」となります。「(1)の事態を回避するためにこれらの言説を世に広める」のは間違った対処法となります。

財政破綻論は「邪教」

 もし人々が財政破綻論を信じてなくても(1)のような事態が起きると円や国債や株などが暴落して社会が大混乱に陥るのであれば、財政破綻論は「邪教」ではないということになります。
 しかし日本に国の借金問題は存在しませんし、財政ファイナンスや高額貨幣の発行も実質的には政府が日銀から資金を調達するだけのことなので、(1)のような事態が起きても人々が財政破綻論を信じてなければ不適切な行動を取らないので社会が大混乱に陥ることはありません。
 逆に多くの人が財政破綻論を信じていると、(1)のような事態が起きたときに人々は不適切な行動を取り、社会が大混乱して多くの人が不幸になることになります。
 すなわち財政破綻論は「邪教」となります。

最低の存在

 財務官僚やその御用学者はこの「邪教」を世の中に広め、恐怖で人々をマインドコントロールし、自分たちの欲望を満たしているようです。

 実際にテレビや新聞で「日本は国の借金がこんなにあって大変だ」といったことがよく流されますし、中学や高校などの学校現場でも子供たちに「日本の財政は危機的状況にある」といったことを刷り込んでいるようです。
 そのため「自分たちはこんなに国の借金を膨らませてしまった。日本はいつか国の借金で破綻する」と思い込んでいる国民は多いと思います。
 すると多くの国民は、「国の借金」「財政が厳しい」「将来世代へのツケ」といったことを言われると、増税や歳出削減は正しいことだと感じ、我慢して受け入れることになります。
 そして増税や歳出削減で人々を困窮させるほど財務省の力は強くなり、それに貢献した財務官僚は出世し、御用学者は財政制度等審議会の委員に選ばれて箔がつくなど色々といい思いができる、そういう構造になっているようです。

 多くの国民を騙し、多くの国民に罪悪感を植え付け、多くの国民を不安に陥れ、多くの国民の善意に付け込み、多くの国民を苦しめ、国を衰退させ、自分の欲望を満たす。最低の存在だと思います。

財政破綻論は現代日本における最大最悪の邪教

 財政破綻論を信じて財政政策を考えることは、一言で言って「愚か」です。まともな財政政策になるはずがありません。つまり国民一人一人の幸福に繋がるはずがありません。むしろ不幸にします。

 財政破綻論と密接な関係があるPB黒字化目標が日本にどれほどの害悪をもたらしているかについて、以下の「4-10 PB黒字化を目指したことによって起きた害悪の具体例」にある程度まとめています。参考まで。

 「問題ないことを「問題だ問題だ」と騒ぎ立て、それによって人々を不幸にし、一部の人がいい思いをする」、こういうものは他にも色々あると思いますが、財政破綻論は群を抜いていると思います。

 財政破綻論は「現代日本における最大最悪の邪教」「失われた30年の元凶」「日本を滅ぼすカルト宗教」と言っても過言ではないと思います。

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