MMT派と反MMT派の大きな違い
私はMMT(現代貨幣理論)についてよく知らないのでMMT派でも反MMT派でもありませんが、MMT派の言っていることのほとんどは理解できます(ここでいう「MMT派」とはMMTに肯定的な人たち、「反MMT派」とはMMTに否定的な人たち、という意味で使っています)。
ネットの動画のコメント欄での匿名の人たちの議論を見たりするのですが、そこで「反MMT派はMMT派の言っていることを理解できてない」、「理解するのに苦労している」、「理解できたのに受け入れることを根拠なく拒絶している」などと感じることがあります。
その原因として知能や知識の差や認知的不協和の有無があると思います。しかしそれ以外にも、これもかなり大きな原因ではないかと思うものがありますのでそれについて述べます。
悟性と理性
京都大学大学院教授の藤井聡氏の著書「新・政の哲学」に以下の記述があります。
MMT派は「理性の人」、反MMT派は「悟性の人」
引用した文章は少し難しいので、以下のたとえ話が理解の助けになるかと思います。
たとえば目の前のテーブルの上に10cmぐらいの大きさの物体が置いてあったとします。
正面がどうなっているかは見ればわかりますが、裏側がどうなっているかはその位置からは分かりません。
そこで裏側がどうなっているかを推測します。「正面がザラザラした感じだから裏側も多分ザラザラしてるだろう」「正面は黒一色だから裏側も多分黒だろう」といった感じです。しかしどれだけ考えたところで確信が持てないので結局は「わからない」となります。
そこで裏に回り込んで確認して「あーなるほど」と納得して受け入れるのが「理性の人」。
これに対して、裏に回り込んで確認することをせず、わざわざ回り込んで確認して教えてくれた人がいてもそれを無視したり、教えてくれた内容がいかに信用できないかを力説して結局結論を変えなかったり、嫌々ながら回り込んで確認したとしてもすぐ元の位置に戻って「確かに裏から見ればそうなっているように見える。しかし正面からはそのことはわからない。だからやはり裏がどうなっているかはわからない」と、絶対に一つの視点から見たことしか受け入れないのが「悟性の人」。
このたとえ話で言うと、反MMT派は正面から見たことしか受け入れない人たちで、MMT派は正面からではよくわからないので裏に回って見た人たち、という印象があります。
その結果、反MMT派からすれば、絶対に分かるはずのないことについてわかった風な口をきいているMMT派はバカか嘘つきにしか見えず、逆にMMT派からすれば、一目瞭然のことをどれだけ説明してもわからない反MMT派の方がバカか嘘つきにしか見えない、ということになっているのだと思います。
例えば、国の借金問題についての反MMT派のコメントを見ていると、反MMT派は大体以下の3つに分けられるのではないかと思います。
(1) 裏から見るという発想が無い人
政府の財政を家計簿感覚で見るのが正しいことなのか疑ったことがない
(2) 裏から見ることを拒む人
「政府の財政は家計とは全く違う」と言われても、違う見方をしようとしない
(3) 裏から見たけど正面から見たことを優先する人
日本はデフォルトがあり得ないことを理解しても、政府の財政を家計簿感覚で見るのが正しいと考えてしまう
そもそもMMT派だって元々は「国の借金はヤバイ。いつかデフォルトする」と思っていた人がほとんどで、何かをきっかけにそうではないことを知り、それを素直に受け入れただけだと思います。言うなれば元々はみんな「裏から見るという発想が無い反MMT派」だったわけです。
最初は全員(1)の状態で、「悟性の人」はそこから(2)や(3)になり、「理性の人」はMMT派になった、こういう場合も結構あるのではないかと思います。
つまり反MMT派がMMT派の言っていることを理解できなかったり、理解しても受け入れられなかったりするのは反MMT派が「悟性の人」だから、という要因も大きいのではないかと思います。
反MMT派は「国の借金」から離れられない
またこういうたとえ話も理解の助けになるかと思います。
「悟性の人」は、スタート地点にある杭と自分の体がゴム紐で繋がっていて、スタート地点から離れるほど抵抗を感じて考えることが難しくなっていく。ある程度離れることができても時間が経てば結局スタート地点に戻ってしまう。
「理性の人」はそもそもゴム紐で繋がってないから簡単に離れることができるし、スタート地点に戻ることなくゴールに向かっていける。
「悟性の人」は何年たってもスタート地点から離れられず、しまいには「こここそがゴールだ」と強弁し始めたりする。「理性の人」はそれを見て「まだあんなところにいるのか」と呆れてしまう。
例えば以下の意見とそれに対する反応はそれぞれこうなると思います。
意見:日本政府は無限に円を発行できる。だから借金を返せなくなることはない。だから国の借金は問題ない。
・「しかし国の借金を増やし過ぎるとインフレになる。やはり国の借金は問題だ」と考えるのが「悟性の人」
・「しかし国の借金を増やし過ぎるとインフレになる。そうか、問題はインフレだ」と考えるのが「理性の人」
「悟性の人」は「インフレ」に進みかけましたが結局「国の借金」から離れられず、「理性の人」は簡単に「国の借金」から離れて「インフレ」に進みました。
国の借金問題についてMMT派がどれだけ説明しても反MMT派が意見を変えないのは、反MMT派の多くが「国の借金」と書かれた杭にゴム紐で繋がれているからだと思います。
なぜそうなっているかというと、「政府の財政は家計と同じ」という「ぴたりと静止した支点」からしか物事を見れない「悟性の人」だからだと思います。
おまけ1 「○○の信認」の場合
財政破綻論者が「国の借金が増えると○○の信認が失われて大変なことになる」と人々をマインドコントロールしようとする。
これを受けて、
・「やはり国の借金は問題だ」とあっさり引っかかるのが「悟性の人」
・「そうか、問題は○○の信認だ」と考えるのがおっちょこちょいの「理性の人」
・「そもそも○○の信認とは何か?それと国の借金とはどのような関係にあるのか?」などと考えるのが冷静な「理性の人」
おまけ2 理系の科目がすごく苦手な人
ときどき理系の科目がすごく苦手な人がいますが、その原因は「理解の鋳型」を変えるという発想や習慣がほとんどないために、自分の「理解の鋳型」に収まらない法則や公式が出てくるとどうしてもそれを受け入れることができず、そこで止まってしまうからではないかと思います。
もしそうであれば、事前に「悟性と理性」について知っておけば勉強で躓きにくくなり、躓いても乗り越えやすくなるのではないかと思います。
これは何かの調査結果を元にしているわけではなく、これまでの私の経験を振り返って何となく思ったことです。あと念のため書いておきますと、別にこういう人たちを馬鹿にしているわけではありません。