はじめに
出来るだけ多くの人をより幸福にするには
出来るだけ多くの人をより幸福にするにはどうすればいいか?このことに興味があります。
幸福の形は人それぞれですので、幸福にする方法も様々になりますが、多くの人に共通しているのは以下ではないかと思います。
1.実質可処分所得(自由に使えるお金)を増やし続ける
2.可処分時間(自由に使える時間)を増やし続ける
3.安全・安心な生活を送れるようにする
自由に使えるお金や時間が増えれば、それらを使って自分の様々な欲求を満たしてより幸福になれますし、また安全・安心な生活を送れることは人の幸福にとって非常に重要だと考えます。
そしてこれらを実現する方法を私なりに考えてまとめたものが以下の記事になります。
幸福にする方法の基本部分はいたってシンプルで、しかも大して難しくないことだと考えています。それがどのようなものかをざっくりいうと、「「国の借金」など気にせずに、そして移民を入れずに、高圧経済にすること。そうすれば国民一人一人の力が引き出され、その力は国民一人一人の幸福に結びつく」というものです。
しかし(私から見ると)多くの人が様々な嘘によって間違った思い込みを植え付けられているので、民主主義国である日本でこれを実行するのは非常に難しいと感じています。
上記記事には間違った思い込みを解消できるように様々なことを書いています。これから投稿していく記事もそれを目的としたものになります。目的が目的なので、これまでとは違うものの見方を提供するものや、それが行き過ぎて非常識に感じるものが多くなるかと思いますがご了承ください。
経済学を学ぶことについて
マクロ経済や「国の借金」問題に関する記事の投稿が多くなりますが、私は経済学をきちんと勉強したことがありません。ネットや本で得た知識や実体験を基に色々思いついたことを投稿していくつもりです。なので内容は細かい専門的なものにはならず、根本的な部分の話が多くなると思います。
まともに経済学を勉強したこともないのに投稿するのはずいぶん無責任だと感じる方もいるかと思います。なぜ勉強しないのかというと、その理由は以下です。
1.主流派の経済学である新古典派経済学は現実を無視した前提の上に成り立っているという批判が多く、私も実際そう思う
2.政府の経済政策には経済学者の意見も色々と反映されているはずなのに、「失われた30年」と呼ばれる状況にある
3.日本が財政破綻(国債のデフォルト(債務不履行))することはあり得ないのに、財政破綻論を唱える経済学者が何人もいる
1番については以下動画の4:03~23:18で経済評論家の三橋貴明氏がまとめたものがありますので紹介します。
他にも以下のような批判があるそうです。
悟性と理性
間違った思い込みを解消するためにこれから様々な視点を提供する記事を投稿していくつもりですが、記事内容に対して「ここがおかしい」とか「ここが間違ってる」と指摘できるところがないのに、どうしても受け入れることができない方も中にはいるかと思います。
その原因として「認知的不協和」や「悟性」が考えられます。
認知的不協和がどういうものかについてはネットで検索すれば色々と出てきます。また以下記事の「5-1 認知的不協和を乗り越えるには謙虚さが必要」も参考になるかと思います。
また、悟性がどういうものかについては藤井聡氏の著書「新・政の哲学」に以下の記述があります。
少し難しいので、以下のたとえ話が引用部分の理解の助けになるかと思います。
たとえば目の前のテーブルの上に10cmぐらいの大きさの物体が置いてあったとします。
正面がどうなっているかは見ればわかりますが、裏側がどうなっているかはその位置からは分かりません。
そこで裏側がどうなっているかを推測します。「正面がザラザラした感じだから裏側も多分ザラザラしてるだろう」「正面は黒一色だから裏側も多分黒だろう」といった感じです。しかしどれだけ考えたところで確信が持てないので結局は「わからない」となります。
そこで裏に回り込んで確認して「あーなるほど」と納得して受け入れるのが「理性の人」。
これに対して、裏に回り込んで確認することをせず、わざわざ回り込んで確認して教えてくれた人がいてもそれを無視したり、教えてくれた内容がいかに信用できないかを力説して結局結論を変えなかったり、嫌々ながら回り込んで確認したとしてもすぐ元の位置に戻って「確かに裏から見ればそうなっているように見える。しかし正面からはそのことはわからない。だからやはり裏がどうなっているかはわからない」と、絶対に一つの視点から見たことしか受け入れないのが「悟性の人」。
「認知的不協和」や「悟性と理性」について事前に知っていると、今までにない視点も受け入れやすくなると思います。
言葉の定義
私が使う経済関係の言葉の定義については以下記事の「1-3 言葉の定義」でいくつか定義しています。一般的な定義とほぼ同じだと思いますが、微妙に違う部分もあるかと思いますので参考までに。