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2025年の過ごし方

元旦の朝、雲一つない空で「あー、お正月っていう感じだ!」と清々しい気持ちと共に、小さく気にかかるものを感じながら朝を過ごしました。

noteは久しぶりの更新になりました。
なんだかここは、一番そのままの本音を素直に出せる時に言葉に残す場所のように思っていて、そのためには言葉を選びながら綴るための時間が必要です。公開しようしようと思い今月も既に20日!

時間って、忙しい日々の中でもないようであるし、でもあると思っていたらなくなるものだな、と感じています。

2024年は、これまでのフリーランスで活動した3年間とはガラッと変わった1年でした。個人での仕事でも続けつつの、キャンパスソーシャルワーカーとしての1年。

これまでの人生で一番、日本全国いろいろな所に旅に出た1年でもあったかもしれません。
愛媛、岩手(盛岡)、大阪、京都、富山、東京 etc…
旅した場所が増えると、知らなかった土地も身近になり、自分の生きている世界も広がる感覚があります。

よく話をする人の幅も広がりました。
普段よく話す人となったらやっぱり気の合う友人や、仕事仲間が多くなるので、共通言語が多かったり価値観が近しい人と話をする時間が長いです。

けれど職場が変わり(増え)、多様な立場の多様な人と話していると、どちらが正しい/間違っているとか、そういったことでジャッジしようもない「違い」とよく出会います。

そもそもそこに「ジャッジ」「結論を求める」こと自体がむしろ相互理解のためには遠回りな入り方なわけですが、人間元々もっている気質が白黒つけたくなるもののようで、だいぶ意識したり自ら学んだり小さいころから教育されていないと、人と分かり合うとか、目に見えていないもの、自分の経験していない文脈に想いを馳せるというのはとても難しいことなんだなと感じます。

私自身、以前そういった状況に分かりやすい結論が出せない時(出したいと思っている時)、結論が見えない状況にフラストレーションがありました。目の前で結論が見えない状況に留まろうとする他者の意思決定に遭遇した時、それは明確な意思決定を避けているだけなのではないかと感じたことがありました。

でも今は、もしそこに逃げたり単純に結論を先延ばしにしよう(ひとまず検討します!のような)ということではない、「その曖昧な状況を良い方向に進めたい」とか「何か良い第3の選択肢はないのか探りたい」という意思があってその場にとどまる選択をしているのであれば。

それは「白黒つけたくなる自分に対して、批判的思考を向けることができている」健全な状態なのではないかと、思います。

思うように物事が進まない、理想が実現されない、ストレスはなかなか0にはならない。そんな状況は人は苦手だけれども、でもどこかで打開していけるのも人であり、そこを信じているからとどまれる踊り場なのかもしれません。

そしてこういった曖昧な状況についてポジティブに捉えられるのがソーシャルワークやメンタルヘルスの考え方だなぁと感じます。

「答えが出ない、曖昧な状況にとどまる」ということ自体、社会の多くの場や人はどちらかというと歓迎しないように思います。歓迎しないというか、やっぱりダイバーシティ、D(E)&Iとか、ソーシャルワークみたいな概念がまだまだ世の中では「どうも、はじめまして。私こういうもので、最近やってきた新しい概念なんですけれども」という状況で、理解しようにも先に「?」が浮かぶ場合も多いのかもしれません。

そうした状況でひとりひとりができることは、自分自身や見ているモノに「本当にそうだっけ?」という日々の小さな小さな事象にも批判的思考を向けていくこと。

批判は否定ではない、とも思います。
「他にもあるのかも」「違う選択肢は?」と可能性を広げていくことだと思います。

今年も、行ったことのない土地を訪れて、色々な人と会っていきたいです。






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かずみ|Mental Health Socialworker
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