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起立性調節障害や不登校の問題って、誰が作り出してるの?


私がインターンに参加した理由

 30年近く、小・中・高等学校の保健室に勤務する養護教諭をしていました、ちいこと申します。不登校の生徒は昔からいましたが、最近は本当に多いなあと、肌で感じます。令和4年度の調査では、小中学生全体の3.2%が不登校、年齢の上昇とともにその割合が増えていることを考えると、中学生ではもっと多く、私の感覚で、各クラス1~5人くらいの生徒が、不登校だと思います。
 不登校の子の中には起立性調節障害と診断されている生徒も多く、学校に登校できている子の中にも、起立性調節障害の子は、よく見かけるようになりました。
 そういうわけで学校、特に保健室では、不登校・起立性調節障害は避けて通れない問題でしたが、生徒本人や保護者とは、「つらいね、困ったね」と、相談相手になることは何度もありましたが、その根本的な解決や対処法などは見つからず、いつもみんなで「困ったね」と言い合うばかりでした。
 ところで、学校というところは、理由のはっきりしない妙な決まり、理不尽な校則がたくさんあるところです。たとえば、「女子生徒が冬にタイツをはくのはいいが、その上に靴下をはいてはいけない。寒い場合はタイツの中に靴下をはく!?」とか「セーターはいいけど、カーディガンはだめ」とか。
 保健室では「ベッド休養は1日1時間まで。それ以上休む必要がある場合は早退」とか「保健室に行く場合は、担任または教科担当の許可が必要」とか。理由もわからなくはないけれども、多くの例外が必要な決まりです。例外が多いということは、決まりとして成り立つのか??
 私自身保健室の先生をしていて、疑問に思うことが多く、悩みがあったり、困っている子にちゃんと寄り添いたいと思うと、学校の中の保健室の先生としての私では、限界があることがだんだんわかってきました。というより、その時は「もう嫌だ!こんな変な決まりだらけの中で、決まりを守らせる側の仕事をするのは!」と思って、保健室の先生をやめたというのが正直なところでした。
 そこで、定年退職より少し前に退職しました。その後、不登校で困っている親御さんのためのサポートをする仕事がしたいと思い、あらたに勉強しなおしました。この、「起立性調節障害当事者団体たいむ」のインターンに参加させていただいたのも、実際の当事者の方の生の声を聴いてみたかったからなのです。


起立性調節障害の子と、そうではない不登校の子ってどう違う?

 私のこれまでの認識は、「起立性調節障害と診断されている人は、体の具合が悪いのだから『がんばれ』とか『気合が足りない』とか言われても、無理なんですよ。配慮が必要なんですよ。」という感じでした。このインターンに参加したのも、それをさらに確かめたくて、自分の中で確信を得たら、もっと当事者ご本人や、その親御さんのサポートのために、役に立つだろうと考えていました。実際、私が今までに見聞きしてきた起立性調節障害の人よりも、ずっと症状が重く、長い期間苦しんでいる方のお話を聞くことができました。そして、もちろん必要なのは、「本人の気合ではなくて、周りの配慮」なんだという確信を得たのです。
 でも、それと同時に、さらにもやもやした気持ちが・・・。それは
「起立性調節障害と診断されている子は、もちろん配慮が必要。じゃあ、起立性調節障害と診断されていない、不登校の子には何が必要?気合?がんばり?ちがうよなあ・・・」

起立性調節障害だからこう配慮する。それ以外の不登校はどう配慮する?

 起立性調節障害の病態がだいぶ明らかにされてきて、たとえば、血圧が下がりやすいから、長い時間立たせない、暑い環境におかない。朝が体調が悪いから活動はなるべく昼からにする。規則正しい生活をさせる。水分を多く摂る。など、配慮の具体的な方法もわかってきました。もちろん、これをしたからと言ってすぐに治るような単純な病気ではありませんが。でも先生はもちろん、同級生も、起立性調節障害のことをきちんと話してあげれば、きっと配慮をしてくれるでしょう。(それでも無理解の人に傷つけられることはあるかもしれません)
 一方、病名のつかない不登校状態の人はどうでしょう。理由も、先生も保護者も、本人だってよくわからない。わかっていても、公表できないこともあるでしょう。朝学校に来て、面白くない授業をがまんして受けて、夕方帰るという、普通のこと当たり前のことができない人のこと、理解できますか?この人たちをどう理解し配慮すればいいのでしょう。

普通のこと、当たり前のことってなんだ?

 戦後人々は、家があること、ご飯が食べられること、働けること、学校に行けること、これらすべてが普通じゃなくて、ありがたいことと思ってきました。学校に通えるなんてなんてありがたい。仕事があってお金がもらえるだけでありがたい。そういう時代があったと思います。
 学校はまさに、そんな時代に、子どもたちを1か所に集め、勉強を一斉に教え、働き手をどんどん製造し日本の発展に寄与する人材を育てていった。そんな学校の功績は、当時は大きかったかもしれないですね。そしてそれが「普通」に変わっていきました。
 でも時代はさらに変わりました。日本人の多くは、ある一定以上の生活水準に達していて、自分の幸せは何だろう、この生活でいいんだろうか、もっと幸せになりたい。そんなふうに考えていますよね。子どもたちも同様に、今の学校生活に疑問や違和感を持っている生徒もいます。1か所に集められて、みんなで仲良くし、同じ勉強を同じようにする。変な決まりがあっても我慢する。そんな学校に、なじめない生徒が一定数いても、全然不思議じゃありません。
 昔に「普通、当たり前」だと思われていたことが、今はそうじゃなくなっているんです。私たちは、今一度「普通」を考えてみる必要があります。


みんな違うのが当たり前

 学校には、友達とワイワイするのが好きな人がいて当たり前、ひとりでいるほうが落ち着く人がいて当たり前。学校が大好きな人がいて当たり前、学校が大嫌いな人がいて当たり前。そう思いますよね。でも実際には、ひとりでいないでみんなと仲良くしなさい、学校に元気に通いなさいって言われる。これってほんとうに当たり前ですか?
 私は、起立性調節障害の人がいて当たり前、なんだかわからないけど学校に来ない人がいて当たり前、いろいろな人がいる、自然に配慮をしあえる、そんなふうにならないかなあって、思うのです。
 そしてもっと大事なこと。自分がたとえば起立性調節障害を持っているとしたら、「自分にはこういう病気があります。だから苦手なことがあります。ここに配慮してもらえたらありがたいです!」ということを、自然に言うことができる社会。
 配慮が必要なことが、特別なことではなくて、「そうなのね、OK!気を付けるね!みんなも少しづつ気を付けようよ」なんて、自然に受け入れられる社会がいいなと思います。
 それができたら、不登校だとか、起立性調節障害だとか、発達障害だとか、そんなことで悩まなくていい社会になるんじゃないのかな。だって、「普通な人」がいなくなれば「普通じゃない人」もいなくなるわけでしょ。


夢は大きく・・・でもいつか実現するよ

「ああ、起立性調節障害があるから、昼間の学校に通いたくないんですね。
わかりました。ではお子さんはホームスクールという形にしましょう。それに必要な先生と、教材、タブレットなどはこちらで用意します。もちろん、体調がよくなったら通学してください」
市の教育委員会が、こんな対応をしてくれたらどうでしょう。少なくとも、起立性調節障害で学校に通えないという問題は即座に解決!ですよね。多くの不登校の問題は、これでほぼ解決できるかもしれません。
 こんな夢のような話、あるわけない・・・そう思いますよね。ところが、アメリカではホームスクールという制度が整っていて、実際にこんな対応ができるところも少なくないそうですよ。
 でも日本人の「子どもは学校に通うべきだ」という考えは、案外根強いから、時間はかかるかもしれないけれど、アメリカでできるんだったら、きっと日本でもできるんじゃないかな、と私は思っているのです。
 これが「普通」になるまで、今現在起立性調節障害や不登校でつらい思いをされている、当事者さんやその親御さんに、少しでも希望をもってもらえたらなと思い、サポートする活動を続けています。そしていつか、私の活動が必要なくなるといいなあと思っています。
                            ちいこ


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