団地の遊び はじめての海
はじめての海
神奈川の親戚の家に行くことになった。なんの用事で行ったのか覚えていない。バス、電車を乗り継ぎ、一時間以上かけての、小学生にとっては、結構な遠出といえた。
もっとわからないのは、なぜ女学級委員山岡と一緒に行くことになったかである。ともかく二人で、神奈川の工業地帯に向かった。
ところで、たいした話ではありません。
目指す駅に着いた。その後、親戚の家に行ったこと、その用事、いずれも完全に忘れている。
唯一、ハッキリ記憶してるのは、川の横を歩いていた時、すでに潮の匂いはしていたのだが、山岡が「あたし、海見たことないんだよ」そう言った事だった。
団地から最寄駅まで一人では行けない程、方向感覚がない女である(マジで)。なので、あまり遠出したことがないヤツであった。
確かこのまま川沿い歩けば海行くぞ、そう言ったら、ほんとに?と言って足を止めた。
川は、そんなに大きくはないのだが、そこそこの漁船やモーターボートなどがあった。やはり、団地のショボい川と違い、海とつながってる川は違った。
どうした?山岡は、カンタンにいって、なんかビビっていた。いつも強気の山岡しおり姐さんの、こんな姿は滅多に見られるものではない。
ていうか、何をビビってるのだ?行くぞ、さっさと歩き始めると、なによーとなんだか哀れっぽい声を出してついてきた。
まだ、民家、アパートはあった。あまり人は歩いていなかった。もうすぐ、工場ばかりになる。
なんの店だか、まったくわからないのだが、硝子の向こうの商品棚に、蛇の入った一升瓶が見えた。蛇酒みたいであった。山岡は足を止め、しげしげと眺める。
自分は蛇は苦手だし、要するに気持ち悪かった。マムシ酒?ってやつかな?山岡が一人言のような言い方をする。
黙って歩きだすと、ちょっとーーと、また哀れっぽい声を出して、追いかけてくる。
もはや工場みたいな建物しかなかった。海は見えていた。川沿いを歩き、そして着いた。コンクリートに囲まれた川と海がつながってる部分がおもしろい。
倉庫みたいな建物の前である。いい天気だった。秋の終わりだったと思う。潮の香りばかりする。
「思ったより小さい」山岡の感想であった。対岸には工場の煙突が並んでいた。
柵などなかった。コンクリートの地面で、そのまま海とつながっている。
山岡が恐る恐る海に近づく。サメとかいない?いかにも海のシロウト的発言をするーーーだからといって自分がプロなわけではもちろんないが。ジョーズが流行っていた時である。
あまり風がないので良かった。前にここへ来たときは、風が強く、柵もなんにもない海なので、吹き飛ばされて落ちるんじゃあないかと、怖かった。
山岡はビビりつつ真ん前まで行き海を見ている。
暗くなる前に電車乗ろう、そう言うと「うん、そうだね」それにしても、人がいなかった。気持ち悪いぐらいである。
これから、一時間以上もかけて、団地に帰ることを思うと、気が遠くなりそうであった。しかし、帰らねばならない。タクシーで帰りたかった。しかし、そんな金はない。
山岡は、大変、成績が良いのだが、地理には、ものすごく疎い女である。ここが埼玉だ、と言っても信じかねない奴であった。
あータクシーで帰りたいな、そう呟くと、ここってどのくらい離れてるの?フツーに説明しても、わからない女なので、多摩川を真っ直ぐ行けば着く、と言ったら、ならタクシーで多摩川の横走ればいいわけ?
今いる所から、一駅で多摩川の近くに着く。確かに多摩川をずっと走れば、自分たちの住む自治体には行ける。
そういえば、昔、自転車で羽田空港まで行ったと言っていた奴がいたが、誰だっけ?そんなことを考えていると「タクシーで帰ろう」
山岡が言ったので、ビックリした。「海に連れてきてもらったし」自分に、連れてきたという意識は、まったくなかった。
とりあえず、バスと電車に乗って駅に着いた。個人タクシーがいい、山岡がそう宣言する。そして、本当にーーー川田タクシー(仮名)ーーーに乗る。東京側の多摩川沿い走ってくれませんか。自分がそう運転手のオッサンに告げる。すると「お金、持ってるの?」
山岡が、小さなカバンからおばさんみたいな財布を出して、一万円札を見せる。迷子時用の金だろう。
この時代、初乗り270円であった(確か)。
なんで東京側の多摩川を走るかというと、土地勘があるからであった。以前、通ったことがある。子供だからボッタクられる可能性を考えたのだった。
多摩川を渡る大きな橋を走る。東京都、大田区に入ると、なんとなくホッとする。やがて多摩堤通りに入る。相当ホッとする。
運転手は無言なので、良かった。
道を指示できる所に来た。団地敷地手前で停めてもらう。金額は、五千円しなかったと思う。
ただ、こういうことがあった、というだけの話である。失礼しました。