団地の遊び 新聞配達の女
新聞配達の女
夕方、団地内をいつも自転車で新聞配達してる女の人がいた。その人は、顔半分がヤケドあとに覆われていた。顔半分赤かった。
でも、きれいな人だった。美人である。年齢は三十代ぐらいか。髪は今でいうボブで、決してヤケドあとを隠すことなく、堂々としていた。
子供の自分と目が合うと、いつもニコッと微笑んだ。その顔は、半世紀たった今でも、はっきりと覚えている。きれいな笑顔だった。
ヤケドのことなんか聞くんじゃあないわよ。学級委員山岡しおりにキツく言われた。自分はおそろしくバカだが、そのくらいの分別は持っていた。
当時の医学では、治せなかったのかもしれない。とはいえ、現在の医学で完璧に治せるのかどうかは知らないのだが。
ある日。団地内の公園近くで、白犬シロ(仮名)といた。新聞配達の女の人、佐藤川さん(仮名)が新聞配達を中断し、微笑んでシロを見ている。
シロは愛想のいい犬である。ワンと吠えてるのは一度も見たことがない。
佐藤川さんはシロのことを撫でている。するとシロが、顔のヤケドあとの赤いほうをベロリと舐めた。見ていて一瞬、ヒヤッとした。佐藤川さんは、きゃっと言ってのけぞっただけで済んだ。くすぐったい、そう言って笑っている。
佐藤川さんは、団地では、結構知られていた。新聞配達してるわけだから、それは顔も覚えられるだろうけど、そもそも美人だし、感じいいので、団地住民からは評判が良かった。
ただ、生活は大変なのだろうと言われていた。夕刊だけでなく、朝刊も配達していた。夫はおらず、小さい娘が一人いて、普段は自分の母親のところにあずかってもらっている、そういう話だった。
多分、夏休みだろう。自分たちはいつもの芝生で、ダラダラしていた。楠の木の下で。
すると佐藤川さんが、MM2(仮名)の住んでる号棟から歩いてきた。元気がない顔をしている。
白犬シロが起き上がり、尻尾を振る。
さっき新聞持ってったよ。配り忘れじゃあない?山岡しおりが囁くように言う。
なるほど。それで怒られたのかもしれない。
佐藤川さんは、シロの頭を撫でると、ため息をついて芝生の上に座った。汗のニオイがした。みんなで、こんにちはと挨拶する。佐藤川さんが小声で返す。そういえば、自転車がアッチの道に停まってるのに気づいた。
高橋が一人ボール投げをしていた。壁にボールをぶつけ、跳ね返ったのを取る。
佐藤川さん、UFO見たことありますか?MM2が聞く。コイツは誰にでも聞く、定番の質問である。
あるわよ。ねえ、この中で自治会長さんのお子さんいるって聞いたけど。佐藤川さんが見回す。三村夏子とヒソヒソ話をしていたキーちゃんが、高橋を指さす。
佐藤川さんが高橋のところへ行き何事かを話している。
ところで、この件で、自治会長高橋さんは、子供を通して問題を話すな、と言って佐藤川さんを怒ったそうだ。なぜ子供を間に入れたのか知らないが、大人なのだから直接言えばよいというのは、バカな自分でもなんとなくわかった。
なんといっても自治会長高橋さんは、あたしの名前出しな、これで物事の大半を解決してしまう人である。団地内では逆らえないと言われていた。
佐藤川さんは、自治会長に怒られ、だいぶしょげたらしい。なんでこんなこと知ってるかというと、息子の高橋がボソボソとまるで独り言のように、しゃべったからである。
後日、集会所の大きな郵便受箱に、自転車から体を伸ばし新聞を入れてる姿が、佐藤川さんを見た最後だった。
なんと、団地に住む大学七年生だか八年生と駆け落ちしたという。この話は、広いようでいて狭い団地内にアッという間に広がった。
新聞配達して、顔半分ヤケドあとあって、美人とくれば、それは目立つ。
子供は母親にあずけたまま、大学七年生だか八年生と一緒に、どこかへ逃げてしまった。
妊娠してたとか借金あったとか、どこまで本当だかわからないウワサが飛び交った。UFOにさらわれたのかもな、と言ってる奴はMM2だけだった。
高橋の母親、つまり自治会長が珍しく後悔していたらしい。あたしがキツく言い過ぎたのかね・・・。もちろんほかにもいろいろ問題はあったのだろうーーー知らんけど。
ともかく佐藤川さんは、その後、本当にまったく影も形も気配もなくなった。
数年後、佐藤川さんの娘が現れた。娘は、佐藤川さんに似て美人だが、完璧なヤンキーに育っていた。当時の言葉で言えば、ツッパリ、不良である。
そして皆、同じことを言った。「やっぱ親に捨てられるとああなるのかね」
そしてやはりMM2がこう言った。「UFOが・・・」いや、もうやめておこう。
以上です。