団地の遊び 団地の川
団地の川
川は、団地の中を通っていた。とはいえ、ど真ん中を突き抜けている、とかいうわけではなく、一部分が正確な位置といえる。
団地のすぐ横、なのは間違いなく、よって、ここは、かっこうの遊び場だった。
ショぼい川である。一応、一級河川ではあるが、幅は五メートルぐらいだったのではなかろうか。
汚い川だった。この時代、公害問題が、よく話題になっていた。多摩川の汚さは、よくテレビに映っていた。下水管から溢れる水には、白いアブクが大量に混ざり、周囲には、緑色したドロドロの液体、いわゆるヘドロ系が、たくさん浮いている。たくさんの死んだ魚、そんな映像を頻繁に見た。
ウチの近所の川も、決してきれいとは、言い難かった。川には、しょっちゅう行っていたが、いつも草だらけの土手で遊ぶだけで、絶対に川の中に入ることはなかった。触れたこともなかった。
回りの友達も、さわったら死ぬゾ!ぐらいの勢いで、川を見ていた。
焦茶色、灰褐色、そんな色の川で、透明度はゼロで、中がどうなってるのか、謎の世界である。匂いは、特別くさいとか、そういうのはなかった。
しかし、草土手では、よく遊んだ。丈高い草むらは、そこそこ急な坂道になっている。そこを下れば草むらの中に平坦な道がある。その向こうが川になる。
たいがい、坂道の草むらにいた。
腰ぐらいまで高さのある草たちが、鬱蒼と生えている。草をかき分けても、土は見えない。そのくらい草の密集度があった。ここは、バッタとカナヘビが実にたくさんいた。カナヘビは、小さくて可愛いトカゲである。尻尾を切って逃げる奴だ。
動物たちを捕まえることは多かったが、なぜか、持って帰るということはしなかった。多分、いつも見ていたからだろう。
坂道の草土手の中で、使われていない下水管があった。丸いやつである。こういうのがあると、中に入るのが、この頃の人生といえた。
しゃがみ歩きで入っていく。しかし、入る前にジャンケンする。順番を決めるためである。なぜ順番を決めるかというと、中に入って、出るとき、一番後ろになると、怖いからである。つまり、背後は、暗闇の洞窟の如き下水管である。ゆえに、怖いのだ。
一度だけ、ジャンケンに負けて、一番後ろになったことがある。確かに、背中がスースーして、誰かに肩を叩かれるのではないか、という気がして、仕方なかった。これは、みんなもそういう感覚を持っていた。
そのわりには、よく中に入っていた。
しゃがみ歩きで、下水管の中に入っていく。完全に乾いていて、くさくもなく、汚い感じは、一切ない。
ゆるい登り坂である。
やがて、行き止まりになった所は、少し広くなっている。ネズミしか通れない下水管が一つ、もう一つは塞がれていけなかった。
ここは、昔は行けた。先のほうに光が見え、つまり、外に出られる。一度だけ、行ったことがあるが、途中で、引き返した。ハッキリした理由はわからないが、確か友達と二人でいて、なんかイヤな予感がするから帰ろうということになったのは、覚えている。出口に近くなればなるほど、イヤな感じがした。
何かあったのだろう。
そして、そっちの下水管は、完全に塞がれ、コンクリートか何かで、すぐにも、行き止まりになった。
だから、この少し広い空間で、一休みする。立ち上がることもできた。
ここは、真っ暗ではなかった。上にマンホールがあり、その隙間から明かりが漏れていた。
そのマンホールの上に人がいると、ここにいることがバレるので、あまり、騒げない。
やがて、元に戻る。またしゃがみ歩きで、進んでいく。先頭は、どんどん明かりに近くなるので、なんか気分が良い。
小さかった丸い光が、進むにつれ、だんだんと大きくなっていく。
これは、見ていて愉快だった。
もっとも、後ろの奴は、背後の冷んやり感を味わいつつ、進んでいるのだが。
外に出ると、やはり、明るく、ホッとする。開放感と解放感がある。
そして、橋の下に行く。ここは草が、あまり生えていない。妙に乾燥していて、土がほこりっぽい。橋の上を車が走ると、ものすごく響く音がする。
そして、特にどうということもなく、いくらかの満足感を持って、団地の家に帰るのだった。