団地の遊び 先輩団地訪問


先輩団地訪問

 目黒ゆかり(仮名)先輩が団地に来る、その話が伝わると、なぜか、皆、軽いパニックになった。
 中一の夏休みだった。一学期終わっても、まだ全然小学生気分が抜けてない頃であった。
 目黒ゆかり先輩とは、元学級委員山岡しおりの通う中学の中三の人である。都内トップの中学校である。
 にもかかわらず、見た目、すごくガラ悪かった。それは、この人の地域環境によるものといえた。
 自分たちの住む団地は駅南口にあった。この時代、平和な田舎といってもよかった。
 北口は、もっと街だった。そして、国道沿いのあたりは、あまり行くな、と言われていた。街全体がガラ悪く、よって小学校もガラ悪く、さらに中学校もガラ悪く、至る所ガラ悪いと言われていた。
 そんな所から、東京で一番難関の中学校に入学できる学力のある者が現れた。十年に一度の神童と呼ばれた。
 それが目黒ゆかり先輩であった。
 とはいえ、やはり、言動、服装、友達はガラ悪く、ほんとに頭いいの?と見かけは語っていた。
 さらに、中学校でも神童ぶりを発揮し、一番成績がいいのだという。都内トップの学校の中でトップというのだから、相当ただモノではない。するとこの人は、東京で一番頭がいいということになる。
 ともかく、ひょんなことから、山岡と先輩後輩の付き合いになった。ひょんなことから、自分たちも関わるようになった。
 目黒ゆかり先輩は、盆踊りの日に来たいと言ってるそうだ。これはやめてほしかった。なぜなら、団地の盆踊りは、自治会がかなり力を入れるイベントであった。それより、年々、ガラ悪い奴らが増えてるのが、イヤな感じであった。川向こうの、違う自治体の連中とかも来るのだ。
 とはいえ、二歳年上のスナック勤務前の女に見える先輩に、まだ小学生気分が全然抜けないガキが、盆踊りの日はいかがなものかと・・・そう言える度胸のある者は誰もいなかった。
 カレシ、君が言ってみたら?元学級委員のRがものすごく気楽な口調で言った。山岡の彼氏ということで、いつも先輩からカレシと呼ばれ一番関わりがあった自分ではあるが、そんな恐ろしいことは、言えなかった。自分はバカだし気が小さいのだ。
 ありがたいことに、盆踊りの日ではない時に来た。その辺の事情は忘れた。
 自分と山岡とで、駅北口まで迎えに行く。先輩がどんな服装なのか忘れたが、異様に派手だったのは、覚えている。ともかく、ハデハデな人がやってきた。都内中学で一番成績が良い人には、まるで見えない。
 背が百七十以上あり、痩せている。そして派手でヒョローっとしてるので、よって目立った。
 団地に向かった。
 目黒先輩の住む所は、なんかゴチャゴチャしてるので「やっぱ大きいよなあ」と、団地の広さに感心していた。
 団地中央のグラウンドの手前で、いつものメンバーが並んで待っていた。こんにちは!まるで、ヤクザの親分が来たみたいである。
 ところで今日は、テキ屋系がいくつか来ていた。団地中央の広場あたりでは、ソース煎餅や、たこ焼き屋などがいた。
 十円屋もいた。十円屋とは、畳一畳程の入れ物にオモチャが大量に入った店である。店といえるほどのものではないのだが。いつも軽トラでやってくる。全てが十円ではないが、それなりにミニカーやら銀玉鉄砲やらがあって、見てるだけでも楽しめるのだった。不良品が多々あるけど。
 中一でも、やはり十円屋が来ると、なんか覗いてみた。
 先輩は、テキ屋を見て嬉しそうにしていた。
 ソース煎餅を買う。おいカレシ、オマエが回してみな。紙製のお手製のルーレットみたいのを回すと、五十と書いたとこで針が止まる。五十枚のソース煎餅である(ホッとした)。
 十円屋で、先輩は片足のクマのぬいぐるみを買った。へえ女の子っぽいとこあるんですね。高橋が思いきり口をスベらせると、先輩は、今日あたしは機嫌いいのさ、と言って事なきを得た。
 ところで、ここから先のことを全く忘れている。なにをしたのか、まるで記憶にない。
 そして話は、自分が高一、先輩が高三の時になる。春休みである。
 駅前のパチンコ屋から、先輩がくわえタバコ(ハイライト)で、大きな袋を二つ抱え出てきた。この時、先輩はすでに東大に合格していた。
「おい、カレシ。袋持ってくれ」パチンコ屋の景品の入った茶色の袋の一つを渡される。すごい重たかった。中を見たら、缶詰ばかりあった。
 先輩のウチはビンボーで、高校からはパチンコで生計を立てている、と言われていたーーー昭和の時代でも高校生はパチンコをやってはいけない。煙草もいけない。
「大漁っすね」「ツイてたのさ」
 持ったお礼に欲しい缶詰一個やると言われた。白桃をもらった。
 生まれて初めて白桃の缶詰を食べた。とてもおいしかったのを、よく覚えている。

いいなと思ったら応援しよう!