団地の遊び 灯油を運ぶ
灯油を運ぶ
昭和の冬は寒かった。東京一月の平均気温が五度なんてザラだった。
家では石油ストーブを使っていた。円筒形のアラジンストーブというやつで、この時代1970年代では、有名なストーブで、テレビドラマとかでも、よく登場した。
いったい灯油をどうやって買っていたのか、思い出せなかったのだが、学級委員Rに聞いたところ、自治会の人に金を渡して、灯油券をもらい、団地の一階に灯油を入れる容器、正式名称はなんと言うのか知らないが、あの十八リットル入るアレである、それを置いておく。すると、灯油トラックが来て入れてくれる、というシステムだったことを知った。
さすが何度も学級委員をやった奴である。よく覚えている。
自分もやっと思い出した。そして、真っ先に記憶を甦らせたのは、夜、自分一人で十八リットルを死ぬ思いで、家まで持って行ったことだった。
これは重かった。多分、小五の時と思う。自分は体が小さかった。両手で持ち上げるだけでも、大変だった。それを四階まで運んだ。なんで、こんなことしたのか、まったく覚えてないが、ともかく、やった。
今、調べたら、灯油ポリタンクでいいようである。バカで申し訳ない。
十八リットルを両手で持ち上げる。一階の四段上がるだけでも、ふうふう言っている。一階のドアの前で一度立ち止まり、そして引きずって階段まで行く。必死の思いで、持ち上げ階段を上がり踊り場に着く。休む。
途方に暮れるとは、まさにこのことで、果たして四階まで行けるのか?と本気で思った。
そして自分の体の小ささを嘆いた。前から四番目だった。自分より小さい一番前の大本(仮名)に較べればマシだろう、そう思っても、なんの慰めにもならなかった。
高橋や下谷は、デカかった。アイツらなら、カンタンに運べるだろうと思った。
再び、階段を上る。なんとか二階に着く。タンクを引きずって階段に行き、両手で持ちまた階段を上がる。踊り場に着く。やっと二階と三階の間である。
片目の白犬シロ(仮名)が来た。この頃、もはやシロは心が読めるというのは、仲間内では当たり前になっていた。愛情こめて犬を飼ったことがある人ならわかるだろう。犬は飼い主が家に帰る時間がわかる。いつもと違う時間でも、ちゃんとわかるのである。
女学級委員山岡が、一人で塾から帰ることになった。普段は、男友達が一緒だが、この時は一人だった。駅からの道は、墓場や神社を抜ける暗い道だが、通勤通学の人が歩いてるので、それ程のヤバさは感じられない。でも女の子一人である。
シロは、団地敷地内ギリギリの所で待っていた。
これにより、シロのテリトリーがハッキリした。団地内と団地を流れる川までが、シロの縄張りであった。
シロは、頭を腕にこすりつけ挨拶してくる。「ありがとな」お礼を言う。三階までなんとか行く。そして踊り場まで、気力を振り絞り上がる。
三階と四階の踊り場に来た。あとわずかである。しかし、もう限界にきていた。腕に力が入らない。タンクの上に座り休む。シロも後足を曲げる。そして、夜空を見上げる。
オリオン座がきれいだった。シリウス、ペテルギウス、リゲル。冬の夜空をきれいに彩っていた。
「星が光ってるよ」シロも左目だけで見ている。
「大きくなりたいな。なれるのかな」
呟くと、シロがクンクン鳴いた。大丈夫、そのうちなるよ、と言ってるような気が、しないでもなかった。
ジッとしてると寒くなってきた。同じ階段の近所の人とは、誰とも会っていないのは、幸いだった。
シロは、ここにいてはマズいのである。首輪をつけてるから、平気とは思うが、やはり気になる。
UFOがオリオン座を横切っていく。それにしても、UFOを見る回数が増えている。母船の葉巻型UFOではなく、アダムスキー型UFOであった。ちなみに葉巻型が母船と言ったのは友人のMM2である。
「シロ見たか?」犬顔で笑い尾を振って答えるーーーもちろん見たよ。
立ち上がる。ここに灯油を置いて、帰りたくなった。しかし、それはできない。
せめて、自分の家のドア前まで持っていかねば。ドアの前に置いてるなら、問題ないだろう。
それにしても、なんで、自分で運ぼうと思ったのか、皆目思い出せない。
手に豆ができていた。距離的には、たいしたことないのに、すでに手のひらには充分な負担がかかってることに、少し驚く。
最後の力を振り絞り、階段を上がった。シロが後ろからついてくる。そして、なんとか家のドア前まで、たどり着いた。
「ふうー」ため息が漏れる。
シロの頭を撫でる。一緒に階段を下りる。
一階に着くと、シロはコッチを見た。シロの顔が、やけに大人びて見えた。そして、心の声が魂の耳に届いた気がした。
「俺も結構忙しいんでな。これからは無理して運ばないことだ」