団地の遊び 五百円札


五百円札

 さすがに、百円札は使ったことがない。まともに見たことすらなかった。自分の子供時代でも、流通はしていなかったのだろう、と思う。
 しかし、五百円札は、日常的に使った。調べればわかるのだが、五百円札が、いつなくなったのかの、記憶がハッキリしない。
 五百円札というのは、良かった。ともかく札である。子供時代は、そんなに持つことはなかったが、中学高校と歳をとるにつれ、五百円札が財布に入ってることは、多くなった。
 小学生の頃の、五百円の価値はどのくらいかと考え、一日の生活費ぐらいには、なったのではないか?と推測する。
 あんだんごが、十五円ぐらいの時代である。近所の和菓子屋で、一番高いのが、五十五円の栗蒸し羊羹だった。
 要するに五百円札というのは、札を持っている、という安心感を与えてくれた。小銭だけじゃあなんか嫌だな。こういう時のお札として、実に重宝した。
 五百円札は岩倉具視である。幕末の人である。
 五百円札は、現在、手元にない。もし、手に入れるとしたら、どうするのだろう?ふと思った。なんか急に見たくなった。昭和と違い、令和はすぐ検索できる時代である。
 小学四年か五年のとき、五百円札を拾った。団地中央商店街からの帰り道、団地内歩道の、植え込みの下に落ちていた。つまり、植え込みの木の下にあった。半分に折った状態で、土の上に落ちていた。
 周りを見回す。人はいなかった。いいのだろうか?そう思いつつも、手に取った。少し土がついている。
 結構、ドキドキしていた。もらっていいのだろうか?十円とか、小銭を拾うことは、あった。年中ではないが、団地中央商店街あたりでは、時おり、落ちていた。
 しかし、五百円といえども、札である。初めてであった。ズボンのポケットにねじ込む。あたりを見る。
 団地内なので、周りは当然団地であり、窓がたくさんあるので、誰かが見ていたかもしれない。
 いや、札かどうかまでは、見えないんじゃあないか?走ろう、そう思ったが、やめて、何食わぬ顔で歩き始めた。ほとんど気分は犯罪者である。
 先にも書いたが、五百円札の価値は大きいのである。
「なにしてんの?」「わあー!」女学級委員山岡しおりの声が、後ろで聞こえる。
 いつの間に、背後にいた?真剣に思った。ここから山岡の住む号棟は見える。近くである。それにしても、来るのが早すぎないか?さっき回りには誰もいなかったのに。ワープしたのか?と半分ぐらい本気で思った。
 いや、べつに・・・トポけた。あたし、駅前の本屋行くから。そう言うと、左腕を掴んで引っ張った。
 こういう付き合いは、毎度のことである。ーーーウチに行こうと思ったんだけど、そのへんブラブラしてるんじゃあないかと思って。まさにその通りでヒマな小学生だった。
 団地の本屋にもあるかもしれない、山岡はUターンし、団地中央に向かう。そして、その本はあったらしく、買って、再び歩いて、みんながなんとなくいつも集まる所に行く。公園と長方形グラウンドの間の細い芝スペースであった。
 さっきは誰もいなかったのに、今は高橋は壁に向けボール投げし、MM2(仮名)はベンチに座り勉強し、学級委員Rとキーちゃんが芝生に座りボケーと空を眺めていた。
山岡が「さっき、五百円札拾った」と言うと、皆が一斉に振り向いた。なんてこと言うんだこの女は?!そう思ってる間もなく、山岡は、私のポケットに手を突っ込み札を引っ張り出した。
 五百円札なんて初めて見たぜーーー絶対嘘。MM2が札に顔を近づける。札のニオイがする、学級委員Rが嗅いでいる。いったいどれだけビンボーなんだ、と言いたくなる。
 山岡が耳元で囁く。こういったお金はね、パーって使うのがいいのよ。なるほど。しかし交番に持っていくという考えは誰も浮かばないのか?(自分も一ミリも思わなかったが)。
 みんなで、川向こうの駄菓子屋に行った。五百円札で買物したら、駄菓子屋の二百歳ぐらいに見える大婆さんが驚いた顔をし、拾ったの?盗んだの?と聞いてきた。拾いました。素直に答えると、ならいい、と言ってお釣りをくれた。お釣りは、信じられないぐらいの量の小銭であった。
 金の管理は山岡がやった。バカな自分にはまかせてもらえなかったーーー言わないでもわかるだろうが拾ったのは自分である。
 最初五百円での買い食いは、結構長く続いた、気がする。
 自分が、自分のものとして、五百円札を持っていたのは、時間にすると、十分ぐらいだった。お年玉より、はるかに価値があった気持ちがある。
 土のついた変に折れた青い五百円札は、五十年たった今でも、脳裏に映像が残っていた。

いいなと思ったら応援しよう!