団地の遊び トースト

トースト

 じいさんは朝食にいつもトーストを食べていた。チーズをはさんだやつである。
 じいさんは、明治生まれだった。ドイツでヒトラーが政権をとった年は、三十代という、生きた歴史みたいな人だった。
 もっとも、子供の頃は、そんな細かい年齢のことなど考えることもなく、単に、すごく年とった人というふうに思っていた。
 そして、朝食のチーズトーストが、なんだかものすごくおいしそうに見えたのだった。
 和テーブルである。そこに、いわゆるトースターがある。じいさんは、食パンを一枚入れる。確か六枚切りだったと思う。やがて、焼けたパンが飛び出す。結構、よく焼いている。焦げめが多い。
 そのパンを焼いてる間にチーズを切る。この時代、スライスチーズというのは、知る限りなかった。結構、ぶ厚く切る。二枚である。チーズは四角細長い箱に入っている。引っ張り出すと、紙みたいのに包まれたチーズが出てくる。紙をむいて、ナイフでチーズを切るわけだった。
 焼けたパンに、バターを塗る。マーガリンではなかったと思う。これまた四角細長い箱に、紙に包まれたバターを引っ張り出す。そして、専用のやつでバターを取りパンに塗る。
 切ったチーズ二つをパンの上に並べる。そして、パンを半分に折る。
 絨毯の上に広げた新聞を読みながら、チーズトーストを食べる。もちろん、トーストの粉々が落ちないよう、食べるときは和テーブルの上の、皿の上で食べる。
 べつにどうということのない、ただの朝食風景なのだが、いったいこれの何が子供心を刺激したのか、やけに覚えていて、そして、チーズトーストが異常にうまかった。
 チーズトーストは今現在も好きで、食べている。
 子供の頃は、パンの耳が嫌いだった。残すと怒られるが、可能な限り、食べなかった。
 ところが、じいさんと一緒の時だけは、平気で耳まで食べた。おいしいとすら思った。不思議である。
 随分前に、じいさんは亡くなった。九十歳の誕生日が命日である。長生きしたのは、チーズトーストを毎日食べていたからではないか、と言われている。そうかもしれない。


 チーズトースト意外で、トーストのサンドイッチを初めて食べたのは、何歳だったであろうか?
 サンドイッチというと、そのままのパンのモノしか、見たことがなかった。そしてサンドイッチというのは、そもそもそういうモノと思っていた。
 ところが、トーストのサンドイッチもあった。考えてみたら、要は食パンを焼いたか焼いてないかだけの話であって、べつに騒ぐ必要もないのだが、なんか気になった。
 友人と二人で、新宿の喫茶店に入った。多分、十八歳とか、二十歳とか、そのへんの時と思う。
 サンドイッチは二種類ずつあった。ハムサンド、ホットハムサンド。タマゴサンド、ホットタマゴサンド。
 このメニューを見た時、はじめ意味がわからなかった。温かいか冷たいか、つまりそういうことなのだろう、とは思ったが、ホットがトーストのこととは、まるで発想がなかった。妙に温かいパンのサンドイッチが出てくると思った。自分がバカなのだろう。
 自分はホットではないツナサンドを頼んだ、友人はホットツナサンドを頼んだ。
 出来たモノを見て、なるほど、そういうことか、トーストサンドイッチか、納得した。
 普段、チーズトーストを食べるクセに、なぜだか、トーストサンドイッチを初めて見るモノのように見た。なぜかはわからない。べつに家て、チーズとハムはさんでも、なんの問題もないのだが、どうしたわけか、そのトーストツナサンドが、妙に新鮮に映った。
 そして、それ以降、やたらとトーストサンドイッチを食べるようになった。
 一番気に入っていたのは、ベーコンチーズサンドである。アメリカンナイズされたファミレスに、それはあった。いや、べつにアメリカンナイズされてない店にもあった。
 ベーコン、チーズ、トマト、レタスで、それをトーストではさむ。実にうまかった。夕食は、やはりご飯ものという考えが、根強くありはしたが、このベーコンチーズサンドのうまさには、勝てなかった。
 一緒にフライドポテトがついた。飲み物は、なんでもよかった。
 そんなわけで、トーストを食べている。
 学校給食は、すさまじく嫌いだった。焼いてないパンに、固いマーガリンをぬる。これがもしトーストなら、おいしく食べられたかもしれない、などと思う。
 しかし、この世で一番うまかったのは学校給食だと、自分的にはまるで理解できないことを言ってる元学級委員Rは語った。
「冷たいパンに熱いシチューやカレーだからいいんだよ」

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