団地の遊び スクールバス
スクールバス
高校からは電車通学になった。この電車は駅ごとに高校があり、学生ばかり乗っていた。終点の駅で降りる。そこから学校までスクールバスで通っていた。高三あたりから路線バスになった。
スクールバス代というのがあったのかなかったのか、思い出せない。その場では払わなかった。あったとしても、微々たるものだと思うのだが。五キロの道のりである。
このスクールバスが、なぜ印象深く記憶してるかというと、運転がすさまじく乱暴だった。荒かった。
今の時代だったら、まずクレームの出る運転だと思う。骨折したという話は、聞かないがーーー知る限りーーー足首を捻った、手をぶつけた、要するに捻挫、打撲、すり傷、切り傷、こんなのは日常茶飯事であった。ときたま、ギュウ詰めのため胸圧迫による失神というのもあった。
手すりは天井近くにもついている。銀色の鉄の細長い棒の、よく見るやつである。基本的に、体は片手だけでは支えられなかった。両手でしっかりと、持たねばならない。
これは、座席やドアや、そのへんにある縦になった銀棒でも同じである。
上の銀棒につかまる。荒すぎる運転で体が一回転する時がある。このとき、もちろん棒を握ったままだと、大変危険である。最悪、骨折する。なので、体を振り回されながらも、微妙に手の位置を変えなければならなかった。
当然、ギュウギュウ詰めである。これが逆に良かったのかもしれない。倒れないですむからだ。もっとも、はしっこの奴がツブされ悲鳴を上げるのは毎度のことだった。
生徒の一人が言った。ーーーウンコしたいから途中で降ろして!そいつは、すさまじくギュウギュウ詰めの真ん中にいた。動けるものではない。上級生が、おい!ふざけんなよ!電車間に合わねえじゃねえか!
とはいえ、こんな混んだ中で漏らされたら大変である。ゲリだという。パニックである。
待ってろ!運転手の角刈りのヤクザに見えるオッサンは、さらにスピードをあげた。
ちなみに五キロの道のりは、今でこそ住宅街だが、当時は、まだ空地があった。なので、人通りは少なく、ようするに飛ばせた。
この走りは凄かった。なんといっても、三分切って駅に着いたのだ。伝説の走りと言われている。
そいつは結局、バスから降りるまでが限界で、トイレまで間に合わず、植え込みの中に入り下痢した。
みんなに見られていたが、本人は実にホッとした顔をしていた。まるでこういうことを気にしないタイプらしい。
バス事件はまだあった。バスの一番後ろ、座席と窓の間に空間がある。その細長い空間に、上級生が寝転がっていた。寝転がるしかできない細長いスペースといえる。
自分は近くで立っていた。バスが急カーブする。すると、その先輩は横の空いてる窓から飛び出した。寝転がってるので、そのままの態勢で、頭から空いてる窓に入り、勢いで吹っ飛ばされた。
近くで見ていたが、実にきれいに窓を通り抜け、外に飛び出した。
「うおー!!」という声とともに、先輩は、車外に出て、宙を飛んだ。
草むらに突っ込み、姿が見えなくなった。
何人かの生徒の驚きの声なんぞは耳に入らす、バスは何も気づかずに、飛ばしていたが、「窓から落ちたあ!」という叫びで、やっと止まった。急ブレーキをかけたので、前にいた生徒が潰されるギャー!!という声が聞こえる。
結論を言えば先輩は無傷であった。
その後、バスが静かな運転になったかというと、そんなことは全くなかった。
時々、イスに座ることができる。ホントに偶然タイミングが良かったという時だけである。
座ると、立ってる奴の鞄を膝の上に乗せることになる。そういうルールである。すると、そいつの姿が見えなくなるぐらい、鞄が積まれていく。学生鞄である。
当然、重いと膝が痛くなる。座ったら座ったで、苦労があったわけだった。鞄をのけないと、立てないのである。
窓から顔が出て、混んでるので態勢を直せず、そのまま駅までいった、というのもあった。
この時、運転は静かだった。なんといっても、いつもの猛スピードなザツな運転で、顔がどこかに当たったら、首がちょん切れる可能性があるわけで、それはそれで面白い、とみんなは笑っていたが、実際そうなると、かなり問題なのは、バカな自分でもわかり、よって運転手も気にして、落ち着いた運転になった。
やがて路線バスになったときは、随分ゆっくり走るなぁと、馴れるまでは、ジリジリしたものだった。
ちなみに、高校時代は、まるで楽しいことはなかった。