団地の遊び どうという事のない話
どうという事のない話
このナボナをしおりちゃんにあげなさい。そう親に言われた。最後の一つのナボナを、なんで女学級委員山岡にあげなければならないのか、まるで納得できなかったが、とりあえず手に持った。
ナボナの知名度がどのくらいなのか、現在知らない。昭和の人なら、たいていは知ってるのではないか?
有名なCMがあった。要するにお菓子である。
団地の四階の家から、階段を下りた。一階に着いて、少し歩き、使われてない焼却炉の方の芝生に行った。そこでナボナを食べることにした。
三分の一ほど食べたところで、女学級委員山岡が、現れた。
「うっ」思わず声が出た。べつにコイツと遊ぶ約束をしていたわけではないのだ。ただ今日は金曜日で、団地中央の本屋に、少年チャンピオンを買いに行くための、外出であった。
その帰り、たいがい山岡と会いーーーコイツの住む号棟の前は通り道であるーーーチャンピオンのブラック・ジャックを読ませるのが、習慣だった。
なのに、今日に限って、なんで自分の住む号棟まで来てるのだ?というわけである。
「それ、あたしにあげるやつでしょ」
山岡は自分の返事も待たずにナボナを奪うと、当然のように食べ始めた。まだ半分も食べてないのに、と悔しい気持ちになった。
そんな自分の心を読んだのか、最後の一口をくれた。ホントに小さい一口を、自分の口の中に突っ込んだ。おいしかった。
そして、歩き始める。団地の道を進む。山岡の号棟の前を通る。横には公園とグラウンドがある。前期学級委員の高橋がボール投げをしていた。グローブをはめ、ボールを壁にぶつけている。
「よう」「よう」挨拶を返した。
やがて、団地中央に着く。ストア、商店街、郵便局などある。本屋に行く。チャンピオンを買う。
薬屋の前で、学級委員Rと会った。「お腹痛くて」手にはビオフェルミンを持っていた。学級委員Rの家族は、あまりにも団地商店街に来る回数が多いので、どこの店もツケがきいた。
山岡が、たまにはあっち行ってみよう、というので、すりばち公園の横を通り、中央グラウンドのほうに行くが、ほかのクラスの奴らが見えたので、Uターンする。
集会所の裏の細道に入る。そして、集会所の中庭みたいな所に行く。中庭といっても、アスファルトの場で、ロの字型をしている。トイレがある。そこから、学級委員Rが、苦しそうな顔して出てきた。
「朝から何も食べてないんだ」学級委員Rが言った。「下痢してるから何も食べなければいいと思って」
せっかくの休みが台無しだなあ、と思いつつ、「お腹空くじゃん」そう言うと、うー、とうめいて、またトイレに戻った。なんか大変そうであるが、何もできなかった。ちなみに山岡とRは、あまり仲が良くない。
女学級委員は、自分の腕を掴むと、結局Rに一言も声をかけることなく、さっさと歩き始める。
高橋はボール投げをまだしていた。
MM2(仮名)がいた。ベンチに座っていた。「今夜、放送するから家いろよ」ラジオみたいなものを持っていた。これは、一応無線機で、FMの周波数に合わせてある。とはいえ、免許無しでも扱えるものなので、たいした出力はなく、ようはそんなに電波は届かない。以前は失敗したので、今回は改良し、再び放送するという話だった。
「無理だろ」高橋が実に冷酷な口調で言った。小学生とは思えない非情な物言いだった。「あたしもそう思う」山岡が縁石に座る。自分も座る。
山岡がブラック・ジャックを読み始める。いつの間にか、片目の白犬シロ(仮名)が横にいて、チャンピオンを読んでいた。
「おおっ!」高橋がビックリする。神出鬼没のイヌであった。
自分は、春の陽気を感じてボーっとしていた。
山岡がブラック・ジャックを読み終わると立ち上がり、「高橋君、キャッチボールやろうよ」「いいよ」
グローブを取りに、走って自分の住む号棟に行く山岡だった。目の前である。MM2はベンチに座り無線機を改造している。ヨロヨロして学級委員Rが近づいてきた。そして、ツラそうに縁石に座った。ため息をついている、
山岡が戻り、キャッチボールが始まった。この女は、速球派の投手である。誰よりも速い球を投げた。
山岡は女子の友達が少なかった。女子でグローブを、持ってるのはコイツだけだった。
Rが縁石からゴロリと芝生に寝転がり、横向きになっている。「大丈夫か?」Rは目をつぶったまま頷く。
白犬シロが走り出した。しばらくすると、三村夏子を連れて戻ってきた。学級委員Rを立たせ、家に向かった。その後、病院に行ったらしい。
その夜、MM2のラジオ放送は、やはり受信できなかった。