団地の遊び 硝子と馬賊
硝子と馬賊
ガラスである。窓硝子のことである。
子供の頃、覚えてる限り、窓硝子は五、六回割った。大人になっても、やはり四、五回は割っている。これが多いのか、平均なのか、少ないのか、まったくもってわからないが、ともかく、割ることのある人生だった。
子供時代、窓硝子を割ると、硝子屋を呼ぶ。すると、ボロボロの軽トラックに乗った、ヨボヨボのじいさんがやって来た。今でも顔は覚えている。
ベランダ側の窓硝子である。じいさんは慣れた手つきで、窓を替えていく。横で、それを見ているのは、すごくおもしろかった。
当時の団地の窓はサッシではなかった。鉄枠の重い窓で、ガラガラと結構大きな音がした。
防犯上、一階にだけ、鍵付きの鍵があった。しかし、それを実際使用してる家というのは、全く見たことがなかった。
二階以降はなく、一階はシャレてるなあなどと、アホみたいに思ったことを覚えている。ウチは四階なので、もちろん鍵付きの鍵ではない。
窓は鉄枠で三つに分かれていた。つまり、大きな窓が横三分割されてるわけである。
なので、窓を取り替える場合、窓を全取っ替えするのではなく、その三つのうち一つだけを交換したーーーもちろん割れてるところ。
値段は幾らだったのかは、覚えていない。確か、思ってる以上に、安かった気がする。特にこのじいさんのところが、一番安い、というのは、記憶している。
鉄の窓枠にキッチリと新しい窓をはめる。なんか細かいところまで覚えていないが、それほど大変には思わなかった。
仕事が終わると、じいさんにお茶を出す。この人は、甘いものが好きで、たいがい、お饅頭が二個ぐらい出た。
あのじいさんは甘いもの好き、というのは、団地情報網で、すでに主婦たちは知っていた。
それから、じいさんが話しだす。ハッキリ言って、窓交換より、長い話が、はるかに長い物語が始まる。
じいさんは戦争を体験していた。
でも、じいさんの話は、戦争が終わったところからいつも始まる。
終戦を中国で迎えた。ソ連の捕虜になった。列車に詰め込まれた。たくさんの日本人捕虜をすし詰めに押し込んだ列車は、ソ連の収容所に向かった。
じいさんは、これはヤバいんじゃあないか、そう思った。そこで、列車が速度を落としたとき、少佐と一緒に、中国の遥かなる原野に飛び降りた。
素早く、草むらの中に隠れた。しかし、少佐は、足をケガし歩くことができなかった。ソ連兵に気づかれた。停まった列車から、降りて来たライフルを持つソ連兵が、近づいてくる。少佐は言った。「貴様一人で逃げろ!」
自ら囮になった少佐を残し、加山伍長はーーーじいさんのことーーー草むらを這って逃げた。
「少佐とはそれっきり会っていない」
饅頭を食べお茶を啜り、ピースを吸い、老いた加山伍長は言った。
中国とソ連国境近い大原野をさまよい、ついに行き倒れた。気づくと、馬賊の野営地で寝かされていた。加山伍長は、少し中国語を話せた。「そうは言っても奴らの言葉は方言だかなんだかが強く、よくわからなかった」
加山伍長は、助けてくれたお礼に、仕事を手伝うことにした。まだ残ってる駐留軍部隊を襲ったり、列車を狙ったりした。
日本に帰りたかった。しかし、そんなことを言ったら、殺されるだろうと思った。それにやはり、恩もある。
海の近くに来たとき、向こうには日本があるんだなあ。そう思うと無性に帰りたくなり、なんとか中国語で書いたーーーお世話になりましたーーーという、置き手紙を残し、馬賊団から脱走し、船に乗った。金は金(きん)で払った。
日本に着いた。職業を転々とした末、硝子屋に落ち着いた。
というような話を、じいさんは毎回語った。聞くたびに、微妙に話が違っている。
中国系ロシア女のソーニャだかターニャとの恋物語が、ときには入るし、馬賊団の頭目との一騎打ちなど、なかなか愉快なエピソードがあった。
もっとも、ウチの母親はウンザリしていて、夕食の支度が遅れると、たいがいボヤく。
そうは言っても、このじいさんのウデ、そして金額が良かったからこそ、みんな頼んでいたのだろう。
それから十年後ぐらい、風呂が壊れ近くの銭湯に行った。そしたら、この硝子屋のじいさんがいてビックリした。しかも、見た目、全然変わっておらず、昔と同じくじいさんだった。
湯舟にいるじいさんは、何かしゃべっている。近くに子供たちがいる。耳をすますと、予想通りの話をしていた。
「・・・そして馬賊になった。馬賊ってのは、海賊の親戚みたいなもんだ・・・」