団地の遊び 団地のペット

団地のペット

 基本、公団住宅、要するに団地だが、動物を飼うことはできなかった。禁止である。
 時々、犬をコッソリ飼ってる家とかあって、そういうのは、誰かが公団に密告する。すると、すぐにも、飼えなくなる。団地を出るのがイヤなら犬をなんとかしろ、犬とどうしても一緒に暮らしたいのなら団地を出ろ、このへんは、実にハッキリしていたそうだ。あくまでも聞いた話だが。
 とはいえ、猫を飼ってるヤツはいた。もちろん堂々とは飼ってはいなかったが、かといってコッソリというほどでもなく、ようは、たいがいこういうのは誰かがチクってバレるものなのだが、なぜか、猫は平気であった。
 今、思うと不思議な気もする。一階に住んでいた佐藤君(仮名)は、ずっと猫を飼っていて、一階なので、猫も自由に出入りし、外では、集会にも出席し、見た目、結構、楽しそうな猫人生を送っていたように思う。
 子供の頃は、動物が、この場合、犬や猫が飼いたくて仕方なかった。しかし、無理であった。 
 なので、もっと小さいやつ、インコだとか、亀だとか、ザリガニだとかを飼った。
 あまりいい思い出はない。なぜなら、みんな死んだからである。なんとなく、結局、結末は死、そういうふうに思い、子供心にも、生き物を飼うことの、むなしさ、そればかりを感じた。
 ザリガニは、長生きした。どのくらい生きたのか、正確には、わからないが、一番長く生き残っていた。直径十五センチ、長さ二十五センチ程の、円筒形した缶に入れていた。水と上に乗ることのできる石を置いていた。ベランダのすみっこである。
 考えてみたら、狭い所である。もっと広いところで飼ってやればいいのにと、今になって思う。一つには、水槽には亀を飼っていたからだ。
 赤いアメリカザリガニである。多分、多摩川で捕まえたやつだと思う。
 子供だからか、自分が飽きっぽいのか、残酷なのか、結構早く関心を失くした。母親が、それでもなんか餌をやっていた。食パンとか、鳥のササミとか、なんでも食べた。
 一番、思い出に残っているのは、夜、寝ていて、目が覚めたら、布団の上にザリガニがいたことだ。ん?と思った。そして、まさか、と思った。あの円筒形から、這い上がることができるわけない、そう判断し、夢と結論づけた。
 ところが、翌朝、ザリガニが台所にいた、と親が言って、あれは、夢ではなかったことが、わかった。
 いったい、どうやって上がってきたのか、いまだに謎である。多分、窓は開いていたのだろう。でなければ、実にミステリーである。
 親は、逃がしてやったら、と言ったが、もうあまり関心ないクセに、逃すとなったら、急にイヤになり、結局、まだ飼い続けた。
 これは、まったくの自分の想像だが、ザリガニは、部屋に入ってきて、なあ逃がしてくれよ、そう言いに来たのではなかろうか、とのちに思った。
 ザリガニが、死んだのは、それから間もなくだった。本格的に寒くなる前であった。ただ、子供というのは残酷なのか、自分が冷酷なのか、少しかわいそうとは思ったが、それほどの悲しみはなかった。
 ただ、何もいなくなった、円筒形の缶を見たとき、ほんの少しチクッと胸を刺すものがあった。
 このザリガニのことは、一番覚えている。缶を覗いても、まるでピクリとも動かず、水に半身浸かっている。生きてるのか死んでるのか、わからない。
 手を中に入れ近づけると、やっと反応する。面倒くさそうにーーー多分本当に面倒くさかったのだろうーーーデカい手を上げて、威嚇する。
 考えてみたら、コイツには、随分ハサまれた。皮膚がめくれ血が出て、非常に痛い。だから、あまり愛情を注げなかったのかもしれない。
 だいたいザリガニなんてものは、こんな感じである。それをまだ子供だったから、よくわかってなかったのだろう。
 最近も、ザリガニはいるようである。昔ほど、多くはいないのかもしれないが、元々タフなヤツだから、生き残ってると思える。
 また、しょうこりもなく、捕まえてみようか、そんなことを考えるバカな自分であった。確か、捕まえたら、いけない、なんかそんな話も聞いたのだが。

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