団地の遊び 怪我と病気
怪我と病気
子供の頃は、しょっちゅうケガしていた。
なんでケガするかというと、外で無理な遊びをするからである。この頃は、赤チンの全盛期といえた。すりむく、傷つく、血が出る、すると、赤チンをドバーとつける。それで終わりである。
手、腕、足、どこかしら、赤チンを塗っていた。だから、いつもどこか赤かった。
これは、ほかの子供も同じであった。赤チンで、骨折まで治したと言ってる奴もいたーーー嘘だろう。
この赤チンというモノの、成分はいったいなんだったのだろうと思う。万能薬みたいなところがあった。
しかしそのうち、赤チンは体によくない、という事になり、使われなくなる。今まで、さんざん使っていたのに、なんだそれ、と子供心にも思った。
バンドエイドが登場した。ケガした。バンドエイドを貼る。おしまいである。今現在も、余程ヒドくなければ、バンドエイド貼って終わりという人は、多いだろう。
バンドエイドというのは、画期的であった。ところで、バンドエイドがいつ一般に出回ったのかは、知らない。これは、あくまでも自分の経験で語っている。もしかしたら、もっと前からあったかもしれない。
バンドエイドは少し高かった気がする。絆創膏のほうが、安かったので、コッチを貼られた覚えがある。
左手の中指の指紋側が、ペロリと肉が剥けるケガをした。確かブランコが原因だと思う。鎖に指を挟んで飛んだら、こうなった、というハッキリしない記憶がある。
ウチの号棟前の公園だった。かなり痛かった。指の肉が垂れ下がっている。血が止まらなかった。家に帰るまで、血が滴り落ちていて、自分の歩いた所がわかった。
家に着くと、即、病院に行くことになった。もはやバンドエイドのレベルではなかった、指に白いものが見えていた。それがなんだかわからなかったのだが、骨ということにいずれ気づいた。
駅近くの、当時、大変評判のいい外科医院に行った。もちろん治療してもらった。
ところで、団地内にも病院はあった。しかしここは、すさまじく評判が悪く、誰か行ってるヤツというのは、知る限り一人もいなかった。
ケガの場合、評判のいい駅近くの外科に行ってる人が多かった。
耳鼻咽喉科、歯科などは、実にバラバラだった。これはおもしろいぐらい、みんな行ってる所が違った。
ただ、内科だけは、比較的同じ病院に行ってるパーセンテージが少し高いのでは、と思っているーーーどうでもいいことだが。
その病院は、団地の横にあった。
ここの医師は、学校の健康診断にも来ていたので、それで結構知られていた。
病院と自宅が同じだった。令和の世の中では、こういう病院は少ないだろう。今の世では、ほとんどないだろうが、夜、急病になっても診てもらえた。自宅と一緒だから、先生が、パジャマにガウンでも羽織ってスリッパ履いて二階から降りてきた。多分、患者が子供だからだろう。
今の時代、こんなことしたら、迷惑なヤツがいっぱい来て、大変ではなかろうか。
この先生は、大きな犬、コリーを飼っていた。よく散歩してる姿を見かけたが、いつも犬にリードを引っ張られ、引きずられるように歩いていた。
医師としての、威厳とか、まったく感じられなかった。
こういった姿がイヤで行かないという人もいた、でも、ウチは、逆におもしろく、好感が持てた。よって、いつも世話になっていた。夜中に診てもらったこともあった。
風邪でこの病院に行く。内科である。風邪の流行ってるシーズンには、たいがい誰か、見知った顔の奴がいた。
時々は、同級生もいた。体温計をワキに挟んだまま、動き回り、熱をさらに高くして一層具合悪くなる奴もいる。
なぜ、調子悪いのに無理して、動くかというと、病院に来て興奮して舞い上がってる子供だからである。
病院の受付の奥で、薬を担当してる人がいる。確か一人か、場合によっては二人。
折り紙みたいな四角い紙の上に、決められた分量の粉薬をのせる。そして、実に器用に紙で粉薬を包む。
昔は、こんなことを、していたのだ。家に帰って飲む。すると、昼と夜とでは量が結構違う場合があったりもする。
基本的に、マズかった。
しかし、そこそこうまい薬もあった。赤紫色した飲み薬である。小さいプラスチックのビンみたいなものに入っていて、薬なので当たり前だが少しクスリくさいが、甘くて結構美味かった。
でもこれは、せいぜい低学年までで、それ以降は、マズい薬を飲んでいた。
最近の薬は、昔と較べてよく効くようになったと、つくづく思う令和の世であった。