本質の時代〜ゆず入り七味はそもそも八味〜
どうも、本当とはなんなのかを求めている野村泰弘です。
私はそんなに細かい性格ではないのですが、
世の中には少し本質からズレた物事があります。
例えば、今回のタイトルにもなっている「ゆず入り七味」です。
「ゆず入り七味」ってもはや、八味ではないですか。
ならば、書き方としては「八味」と書いて、
内容量に「ゆず」と追加した方が、私はしっくりくるんですが、、、
「スマートフォン」を略して「スマホ」と言うなら、
本来は「スマホ」ではなく、「スマフォ」ではないですか。
なんで「ホ」を「フォ」と言うんでしょうか?
どうですか?正論や本質を言ってくる人ってめんどくさいですよね。
自分でも面倒な人間だと思います。どっちでもいいやんと思います。
今回はそんな本質や正論をつく人のお話です。
ちなみに私はゆず入り七味はあまり使いません。
ゆずの主張が強すぎて、七味本来の味がわからなくなるからです。
ゆずが七味という本質をぼやかしてしまうんですね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【めんどくさい弟子】
さて、お経の中には個性的なお弟子さん方が登場してきます。
今回は正論・本質をぶちかましてくるが故に他のお弟子さんから
煙たがられていた方です。
その名は「維摩居士」です。
お釈迦さまのお弟子さんでありながら、
普段は商売人で、財を成していたため、
金銭的な寄付、布施をお釈迦さま、他のお弟子さん方にしていました。
お釈迦さまのお弟子さんにも色んなタイプの人がいて、
家を出て、金銭、地位、名誉、人間関係といった世俗の文化を
全て絶って修行をする人(出家者)もいれば、
「維摩居士」のように世俗で生活をしながら生計をたて、
お釈迦さまの教えを聞きながら、
修行をする人もいるのです。(今で言う檀家さんや信者さんのような存在)
そのような中で、維摩居士は世俗の文化に染まりながらも、
修行も一生懸命やっていたので、すごく知恵のある方でした。
そんな「維摩居士」さんですが、一言で表すなら、
本質を突いてくるのめんどくさい男です。
しかし、言っていることは正論なので、誰も何も言えません。
そんな維摩居士はお経の中で、出家をして修行をするお弟子さん方に
物申すシーンが描かれています。
お弟子さんで、お釈迦さんの実の息子でもある「羅睺羅(らごら)」という出家者がおりました。
お釈迦さまは王族の王子として生まれて、
その後、「羅睺羅」さんが生まれてから、出家をしたので、
家を継がずに修行者になったのです。
当然、その息子である「羅睺羅」さんは王族を継ぐ、
王様候補として期待をされていました。
しかし、この「羅睺羅」さんもお釈迦さまの後を追うようにして、
出家をするのです。
そんな出家をした「羅睺羅」さんに「維摩居士」は叱責。
『そもそも出家をすること自体にはなんの功徳もないんだ、
出家をするというのは悟り・真実を求める心のことである』
本来なら王様になって国を背負っていく存在だった「羅睺羅」さんに対して、
なんで出家をしたのかと咎めてるのです。
当時のインドは家から出家者が出ると
その一族にとって功徳があると喜ばれていました。
しかし、そこに本質をつくのがこの「維摩居士」です。
出家をして、行うべきことを行わなければ、功徳なんて1つもない。
出家をするという形だけには意味がない。
出家をしなくとも、悟り・真実を求める気持ちがあれば、
それが出家なんだということですね。
確かに出家をして、家を出たからといって修行をきちんとしていなければ、
意味はありません。
逆に王様だろうが、商人だろうが、出家者だろうが、
今ある環境でお釈迦さまの教えを聞き、
一生懸命、修行をすることが本質であると説いているのです。
100人が100人、出家をしてしまったら、社会は周らずに衰退していきます。
世俗にある苦しみから逃れるのではなく、今目の前にある現実を受け止めて、
社会も大事、修行も大事、どちらでも共存をしながら、
悟り・真実を求めることに重きを置いていた方だったというのはよく分かります。
ちなみにお釈迦さまの王族を出て、出家をしているわけですから、
この話は師匠でもあるお釈迦さまも耳が痛い話かもしれませんね。
なんでお釈迦さまは良くて、「羅睺羅」さんはダメだったんでしょうか?
そんな本質を「維摩居士」に尋ねると話が長くなりそうなので、やめておきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【誰もお見舞いに来ない】
そんな「維摩居士」は正論・本質男なので、めんどくさがられていました。
ある日、維摩居士が病気になり、
お釈迦さまが他のお弟子さんに「お見舞いに行くように」
と指示を出しているシーンがあります。
しかし、他のお弟子さんは
「あの人、苦手なんです」
「あいつのところに行くとややこしい問答をしているから嫌だ」
と行きたくないという意見が噴出したのです。
そして、最終的に「維摩居士」と対等に問答ができる
3人寄れば文殊の知恵でお馴染みの「文殊菩薩」さんが
お見舞いに行くことになりました。
案の定、お見舞いに行くと
「なぜ病気になった?」
「病気とはそもそもどこからくるのか?」
「病気自体に実体はない」などの問答を仕掛けられます。
この問答の中で、
『病気の本質は生きとし行けるものを救う心を起こし、分別なく平等に感じ、それによって慈悲心が生まれる、病にかかった生きとし生けるものがいるからこそ、私は病気になったのだ』
と長く一般人には分かりづらい話をずっとしています。
こんな問答をする余裕があるなんて、本当に病気なのかなと思いますが、、、、
ちなみに七味の中に麻の実が入っています。
麻の実ってことは大麻の種ではないのか?思ったことがあります。
脱法七味です。
麻薬取締法で捕まるかのではないかと思いますが、
大麻取締法を見てみると大麻の種自体には覚醒作用はないので、
麻の実を所持、乱用しても罰せられることはないそうです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【本質を見出そう】
さて、現代は形だけではなく、その「本質」を問われる時代になって来ました。
特に僧侶である私も「仏教界」において形だけが残って、
「本質・本義」が失われていると感じることが多々あります。
「維摩居士」みたいにめんどくさがられても「本質」を考え、
なんのためにやるのか、
そこにどんな意味があるのか、
大切なことはなんなのかを改めて、
みんなで考えていく必要がありますね。
また、七味に入れたら美味しくなるものがあれば、教えてくださいね。
八味になってもいいので。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【自己紹介】
野村泰弘 (のむら たいこう)
1991/10/28生まれ 福井県福井市出身 日蓮宗僧侶
福井市の中心に位置する足羽山内のお寺「弘法院大師堂」執事長を務める。
難解で近寄り難いイメージの強いお経を今の人にも分かりやすく伝える事を信念に
お坊さんをしています・・・
お経の中身って意外と面白いんですよ。
お寺・お経・仏様・お坊さん、なんだか堅いモノに感じますよね。
意外とそんなに敷居の高いものではありませんよ・・・
【足羽山 弘法院 大師堂 】
〒918-8021
福井県福井市門前町 宝石山17−1−1
TEL: 0776-36-8772
Email:taishido.asuwayama@gmail.com