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ぼくが田舎移住を選んだワケ (そしてチャールズ・アイゼンスタインを翻訳する理由)

いつもの翻訳から離れて、自分語りをしてみます。


寄生虫とアレルギー

寄生虫がアレルギーを緩和するという話があります。「寄生虫博士」として知られた藤田紘一郎氏が提唱した説です。人体が回虫やサナダ虫のような多細胞の寄生虫に感染すると、侵入者である寄生虫から身を守るために、免疫グロブリンE(IgE)と呼ばれる抗体が作られます。IgEはアトピー性皮膚炎や花粉症、喘息などのアレルギー疾患を引き起こす物質でもあります。しかし、ある種の寄生虫の分泌物が刺激となって作られるIgEは構造が不完全で、アレルギー反応を起こすことが無いというのです。

回虫のように人体を宿主とする寄生虫は、宿主を痛めつけずに人体と共存する方法を知っています。いっぽう生の肉を食べて感染する寄生虫が恐ろしいのは、それらがもともと人間を宿主とせず、人間との共存の方法を知らないため、人体をひどく傷付けてしまうからです。

1950年代までは、回虫は日本でもごくありふれた寄生虫でした。アレルギー疾患の突然の増加は、回虫が日本から駆逐されていく時期と符合します。今日では5人に一人の日本人が、花粉症、アトピー、気管支喘息など何らかのアレルギー疾患を持っています。薬品を使って体内の寄生虫を駆除してしまうと、免疫系は過敏になり、自らの身体を攻撃し始めます。アレルギーとは免疫システムの暴走に他なりません。藤田氏によれば、「日本は清潔になりすぎた」のです。

功利主義的な見方をすれば、このような寄生虫は人間のためになるから生かしておく価値があると言うことになります。しかし、寄生虫を一部分として含んだ人間の全体像という見方をすることもできます。このような寄生関係が永続的なものなら、宿主との間に相互依存関係ができていると考えるのが自然でしょう。

心のアレルギー

もうひとつ、現代社会で急増している病気があります。全人口の10から20パーセントが鬱にかかっているとも言われます。鬱にかかった人は自信を喪失し、自分は取るに足りない、必要のない存在だと感じ、期待にこたえられない自分が悪いと思い、ひたすら自己を攻撃する罠にはまっていきます。その様子はまさに心のアレルギーと言うに相応しいものです。

この二つの類似点は、どちらも自他の境界の問題、アイデンティティーの問題であるということです。免疫というのは細胞レベルのアイデンティティーに他なりません。白血球など免疫を司る細胞は、一人の人間を作り上げている様々な物質である「自己」は攻撃せず、自己の領域に外から侵入してきた「非自己」を識別して攻撃します。一見この自己と非自己の定義は自明のように思われますが、寄生虫とアレルギーの例を見るとわかるように、この区別の境界線は常に揺らいでいるのです。境界線の認識を維持し、自分を傷つけないようにするためには、他者との接触を絶やさないことが必要なのです。

現代社会では、他人との心の接触を断ち、人の心が個室化しています。人間関係の異物を排除し、心を「除菌」した結果のアレルギー反応として、鬱に代表される疎外感が蔓延しているのだとしたら、人と人との心の接触を取り戻す、他人を受け入れ、受け入れられることが、問題を解消する糸口になりうるのではないかと思います。心の交流にはアイデンティティーの問題を緩和する効果があると考えられるのです。

「途上国」でのこと

私は1994年からの二年五ヶ月をJICAの青年海外協力隊でバングラデシュに派遣されました。ここまで書いた洞察は、帰国した後で気付いたことです。

協力隊に参加する動機は人それぞれでしょうが、私の場合は技術者として会社勤めの生活に限界を感じて、とにかく現状からの脱出を図ったのです。日本の会社に勤めながら鬱寸前の精神状態にいた私ですが、バングラデシュにいた間はそのような精神状態に陥ることがほとんどありませんでした。

一年二年と活動するうちに、現地人の援助慣れや物乞い的態度のような、開発支援の負の側面や矛盾も見えてきます。しかしその一方で、日本では失われたものがそこに残っていることにも気付きます。その中には、大家族と相互扶助の生活スタイルや、手作りで何でも作ってしまう技術とそれが許容される社会などがあります。

バングラデシュの人々は、概して日本人よりも友好的で、自分の人生に満足しているように見えます。機械化されていない彼らの生活様式では、お互いに助け合うこと無しには生きていけません。その結果、円滑な人間関係、心の共生関係を保つために、「寄生虫効果」が顕著に現れるのではないかと思います。

日本にいると、あらゆる領域に既製品とプロが存在するので、素人が自分の手技てわざと知恵で試行錯誤しながら問題解決することは実質「無意味」になってしまいます。既製品とプロの存在が意味するのは、技術の金銭化が進んでいるということに他ならず、人が本来持っている創造性を奪ってしまう(そして代用品を売りつける)という側面を持つことに気付かされます。まともな既製品の手に入らない世界でなら自分の頭を働かせてモノづくりをする方が圧倒的に面白いのです。自動車整備や電気工事のように資格を持ったプロが管理する世界では、厳密な技術基準によって安全が担保されますが、技能者もユーザーも、それと引き換えに巨大システムの部品となるのです。

途上国支援という大義名分を持って赴任しても、私は結果的にこのような学びを得て帰国したわけです。1970年代初頭に青年海外協力隊の制度を創設した国会議員は、その理由を「日本青年に学びの場を提供するため」と語っていたそうです。じつに、そのとおりだと、いま振り返って思います。たった二年あまりとは思えないような濃密な時間であり、内面的に人生の転機となりました。

移住を思い立ったこと

結局50歳を過ぎる頃まで会社に勤めていましたが、東日本大震災と福島原発事故をきっかけに会社を辞める方向へと舵を切りました。私は農家の長男として愛知県に生まれ、そこで会社勤めをしていましたので、親の農地を引き継ぐのが当然と思っていました。それまでの人生経験を元に、自然農やフォレストガーデンの実践をしたいと思っていました。ところが父は私の想像以上に「プロ」の農家でした。お金を稼ぐことのできない農業など検討の値打ちはないし、「お前に土地はやらん」と勘当されてしまいました。こうして私は移住先を探して各地を回るようになりました。しかし程なくして父が亡くなり中継ぎの農家を3年間限定で引き受けることになったとき思い知ることになりましたが、市街地の近くで農家をやるというのは、ある意味で農業システムの従業員となるようなものです。子供の頃に垣間見た農村コミュニティーはもはや存在せず、個人であるプロの農家がひしめき競争しています。そんな中で自然農などやろうものなら迷惑扱いされます。ますます街場で自分の理想とする暮らしをするのは困難だという思いを強くしました。

色川のこと

和歌山県那智勝浦町の色川地区のことを、「移住を考えているなら良いところだからぜひ一度見に行ってね」と勧めてくれた人がいて、私は色川に通うようになりました。後から知ったことですが、旧色川村の鉱山が操業を止めた昭和40年代から人口減少が深刻になり、有機農を実践する団体を受け入れたことから移住者の受け入れが始まりました。古くからの住民との間に色々とトラブルもあったそうで、そこから移住者受け入れのための仕組みが、だんだんと作られてきました。その考えの根底にあるのは、の人(旧来の住民)と移住者が共にコミュニティーを担っていかねばならないというものです。なので、移住を希望する人はまず住民15人と面談して人と人との繋がりを作ってから、という仕組みがとられています。別荘を買うように不動産だけ購入して、住民と接点を持たない生活をするような移住者は、したがって望まれていません。これは一見すると排他的な仕組みのように見えます。しかし、ネットに散見される移住失敗談の中には、家を購入して住んでみたものの、地域社会から受け入れてもらえずに撤退したというような話があります。家の売買に進む前に人の繋がりを作るという順番であれば、そのようなミスマッチの生まれる可能性は小さくなるでしょう。ピークで3千人いた人口も今では3百人となり、その半数以上を移住者が占めるようになりました。

そして、色川に移住するわけ

またもや後から分かったことですが、この地に引き寄せられてくる移住者たちには人間的な魅力があります。話していて面白いし、みんなコミュニティーの大切さを分かっている。この人たちとなら面白い未来が築けそうだという予感がしてきます。都市生活や文明生活の孕む問題に気付いているなら、もう後戻りはできません。未来は都市文明にはなく、その対極の田舎にこそあるのです。それは私がバングラデシュにいたときに、うすうす気付いていたことでもあるし、いまチャールズ・アイゼンスタインの著作を翻訳しながら整理していることでもあります。文明が危機に陥っているのが明らかな今だからこそ、その先に何を構想するかという哲学の重要性が増してくるのだと思います。

一つ残念なのは、色川のの人だけでなく移住者の二世であっても、高校大学への進学とともに色川を出て、そのまま就職して戻って来ないケースが多いことです。都市で就職するのは文明というマシーンの部品として生きることであり、生きるためには自分の人生を売ってお金にするしかないという罠に落ちることです。学校という制度はまさに規格化された文明の部品を供給するためにできているので、そのような人生を選択するように強い誘導が働くのは間違いありません。私も大学を出て就職するまでそれを疑ったことはありませんでした。願わくば、それが唯一の人生ではないということを、色川で子を持つ親たち知ってもらい、子供たちに伝えていきたいと思います。色川だけでなく、今の日本を覆う閉塞感へのアンチテーゼとなることを願っています。

(おわり)


参考:「ふるさと色川」移住定住促進・田舎暮らし応援サイト
https://wakayama-irokawa.com


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