人々と地球は互いを必要としている
私が地球の危機について公開の場で話すと、聴衆の中から抗議するような調子で、これは地球の危機なんかではないと私に言ってくる人がいます。人間が何をしようとも地球は大丈夫。これはガイアではなく、人類にとっての脅威なのだと。
このよく言われる主張には、自然の巨大な力に対する謙虚さが含まれているように見えますが、実際には、自然の目的性に対する軽視と人間の例外主義が、目立ちにくい形で現れています。ガイアは[誕生・成長・死の]ライフサイクルと運命を持った生き物だと私たちが認めるなら、人類は進化すべき目的を与えられて生まれたと想定するしかありません。生物種の一つ一つ、ガイアの子の一人一人が、果たすべき役割を持っていて、私たちも例外ではないのです。したがって、その役割をしっかり果たすことが、地球にとって決定的に重要なのです。
深刻な病に冒された子供をもつ母親にこう言うのを想像してください。「危険に陥っているのは子供の方で、母親や家族にとっては何の危険も無い。母親のことは心配しなくていい。子どもが死んでも母親はだいじょうぶだ。」人類は地球という惑星の進化に貢献するため資質を委(ゆだ)ねられ愛に結ばれているのだという直感を無視することができるのは、生命は軌道を周回する岩石の上に偶然発生した生物化学的な膜だと私たちが理解している場合だけです。人類の生存は全く重要ではないなどと想像することができるのは、ガイアが一体性を持ち、意識を持ち、目的を持った生き物だということを否定した場合だけです。
自然は偶然に新しい生物種を創り出したりはしません。十年か二十年前なら、この意見は進化が気まぐれな突然変異とその後の自然選択によってのみ起きるという原則に矛盾しているので露骨に非科学的だと見えたでしょうが、現在ではエピジェネティックス(後成的遺伝学)と生物学的遺伝子工学の研究の結果、遺伝子と生命体と環境は、強く結びついた非直線的パートナー関係の中で一緒に進化することがはっきりしています。進化は目的を持っているのです[20]。いや、私はインテリジェント・デザイン[知性ある何かによって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとする思想]を支持しているわけではありませんが、自然そのものが本来持っている知性となれば話は別です。自然それ自身は目的を持っていて、神というものを外から押し付ける必要はありません。そのような神、つまり技術を持った人間を象(かたど)って作られた神は、引退の時を迎えています。新しい神は命のない宇宙のメカニズムに知性を重ねて見せたりはしません。新しい神は、命を持ち神聖な宇宙の知性そのものです。種の進化を導く目的は、もっと大きな、命を持つ全体から来ています。環境はその目的のために生命体を創り出し、同じように生命体も自分の目的のために環境を作り替えます。部分は全体を作り、全体は部分を作ります。
「全体」が人間を創り出したのも、その目的のためなのです。
地球は人間がいなくても平気だと考えることには、ある種の心地よさがありますが、そこにはまたある種の運命論があります。天命からの断絶への反応として生まれる運命論に似たものです。それは一種の無定見、確固たる意思の不在を誘発します。人類が古い「上昇の物語」と輝かしい技術ユートピアの天命から抜け出るとき、私たちが体験するのは集団的な無定見です。古い物語では、私たちの目的は私たち自身でした。その目的はもう枯れ果てています。私たちはもっと大きなもののために我が身を差し出す覚悟ができています。
「相互共存(インタービーイング)の物語」の中で、資質を委ねられ愛に結ばれて、私たちが現在直面する通過儀礼としての危機をくぐり抜けることは、地球にとって極めて重要な瞬間となることを、私たちは自覚するのです。私たちが知っていると思っていたことの残骸の中から、別のものが生まれるのかもしれません。
注:
[20] 13年前、自分はラマルク進化論者だと公言し始めたとき、私は軽蔑した目で見られるか、ぽかんとした顔で見つめられるかのどちらかでした。でも先週私が会議で会った生物学者にそのことを明かしたとき、彼は動じませんでした。「今では誰もがラマルク進化論者ですよ。ラマルクは正しかったのです」と彼はいいました。これはもう偽科学ではありません。興味のある読者、懐疑的な読者には、ジェームズ・シャピロの『Evolution: A View from the 21st Century』、デニス・ノーブルの『Dance to the Tune of Life』、スコット・ターナーの『Purpose and Desire』を勧めます。
(原文リンク)https://charleseisenstein.org/books/climate-a-new-story/eng/the-mutual-need-of-people-and-planet/
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス「表示4.0国際 (CC BY 4.0)」
著者:チャールズ・アイゼンスタイン
翻訳:酒井泰幸