ロバート・ケネディ・ジュニア氏の選挙活動中止発表を受けて(チャールズ・アイゼンスタイン)(その3)
訳者コメント:
2024年のアメリカ大統領選挙で無党派の候補として立候補していたロバート・F・ケネディ・ジュニア氏が、選挙運動を中止しドナルド・トランプ氏の陣営に加わると、8月23日に発表しました。ケネディ氏の選挙顧問を引き受けていたチャールズ・アイゼンスタインは、ケネディ氏の頑固なイスラエル支持に心を痛めながらも、アメリカ社会を覆う分断を癒すために助言を重ねてきました。ケネディ氏の撤退表明を受けて、チャールズが心の内を語ります。長文のエッセイなので3部に分けて掲載します。
第3部は、ケネディ(とトランプ、そして今まで通りの政治のあり方)に対する深い失望と、私たちが目指すべき道筋を示して締めくくります。
原文リンク:https://charleseisenstein.substack.com/p/shades-of-many-colors
パレスチナ問題
パレスチナ問題は、選択肢①(選挙戦に残留)が行き止まりである理由です。独立した反体制的な政治運動の旗手になろうと本当に思うなら、ケネディはパレスチナの平和と正義の大義を受け入れねばならなかったでしょう。
2023年10月7日[ハマスがイスラエルを攻撃した日]以前には、ケネディの支持率は全国世論調査で24%にまで上昇していました。彼はオルタナティブ・メディアの寵児でした。もし彼がパレスチナ紛争の公正な解決策を精力的に提唱していたら、シカゴの民主党大会の会場周辺を照らし出し、アメリカ中の大学生や若者を活気づかせた巨大な政治的エネルギーによって、彼の選挙運動は止められないものになっていたでしょう。
彼の強硬な「親イスラエル」姿勢のせいで、(カギ括弧で囲んだのは、私の考えでは、イスラエルは自国の安全保障の名の下に自滅しているからですが)、彼の他のメッセージと矛盾することになり、彼の支持者の多くを困惑させました。彼はこの20年間、子供たちの健康を守るためにキャリアを捧げてきましたが、ならばイスラエルによる報復戦争で殺され、傷つけられ、孤児となり、根こそぎ奪われ、栄養失調になり、発育不全になった何十万人ものガザの子供たちはどうなるのでしょうか?
彼は、政府と企業の共謀体制によって医療の暴政と果てしない政権交代戦争という合意を作り上げたプロパガンダ装置の仕組みを赤裸々に暴露していますが、現存する中で最も洗練されたプロパガンダ工作の手口を見破ろうとはしていません。
中南米におけるアメリカ帝国主義と、ロシアと中国に対する戦争を煽動するネオコンの計略を、彼は痛烈に批判します。しかし彼は、イスラエルが西アジアにおけるアメリカ帝国主義の中心的存在であることを理解していませんし、イスラエルを「アメリカの不沈空母」とさえ呼びました。それもまた、戦争マシーンを解体するという彼の表明した立場と矛盾します。沈もうが沈むまいが、地球に目を光らせる空母など必要でしょうか?
ウクライナ戦争がエスカレートを続ければ、第三次世界大戦に発展しかねないと彼が警鐘を鳴らすのは当然ですが、イスラエルとワシントンのネオコンがアメリカ対イランの戦争を仕組もうとしていることに対して、彼はほとんど抵抗していません。
彼はCIAが叔父[ジョン・F・ケネディ]や父[ロバート・F・ケネディ]の暗殺に果たした役割や、メディアと政治に不健全な影響力を蔓延させているのを理解していますが、CIAとイスラエル諜報機関との密接な関係は認識していません。
もちろん、彼にチャンスを与えれば、ボビー(ケネディ)は自分の見解がどれほど完璧に一貫しているかを(とにかく彼自身が納得いくまで)説明できるでしょう。彼の座している場所から、彼を形作ってきた情報と影響の総体から見えているのは、イスラエルは血に飢えた反ユダヤ主義の地域的・世界的勢力との命がけの戦いの中にあり、パレスチナ人の苦しみはハマスのプロパガンダによって誇張されたものであり、ガザに飢餓はなく、イスラエル国防軍は世界で最も道徳的な軍隊であり、イスラエルに対する非難はユダヤ人を血で中傷する長い伝統の継続だ、ということです。
しかし、私の立場からすれば、イデオロギーやプロパガンダのベールを突き破り、大量虐殺の戦争犯罪や民族浄化を認識し、それに反対する声を上げることができない指導者に、私たちの待ち望んでいた民主主義の団結運動を奮い立たせるのに必要な、道徳的な力を呼び起こすことはできません。
このような中心的な問題で徹底して既成の立場をとりながら、反体制の候補者として出馬しようとするのは、アキレス腱を捻挫したまま競走する陸上選手のようなものです。彼の筋肉、心臓、肺の調子は絶好調かもしれませんが、ゴールにたどり着いたとしても最後まで足を引きずっているでしょう。
そして、ケネディは確かに手強い「アスリート」です。重々しく機知に富み、不屈の意志と優しい心を持ち、安定した勇気と深い謙虚さを備えた男です。彼がトランプの仲間入りをしたことに、多くの人々が心を痛めています。でも私はもう去年の10月に失恋していました。
ですから、私は徹底した変革への希望を、この選挙のどの候補者とも違うどこか別のところに投じなければなりません。
(確かに、コーネル・ウェストやジル・スタインなど連邦選挙管理委員会に届け出た数百人の候補者の多くは、パレスチナに関してより良い立場をとっています。しかし彼らには他の欠点があり、勝てる見込みもありません。)
どう見ても、ドナルド・トランプはイスラエルに関してケネディと同じ見解を取っています。いっぽう民主党はイスラエルに銃と爆弾を太いパイプで流し込み、不滅の支持を確認しながらも、弱々しい抗議の声を上げているだけです。ガザとヨルダン川西岸の人々にとって、将来は厳しいものです。しかし、もしケネディがトランプ大統領の後ろ盾を得て、過去60年間の腐敗、隠蔽、秘密、嘘の蓋をこじ開けるチャンスを本当に手に入れたとしたら、そのパンドラの箱から飛び出すものの幾つかが彼の核心に衝撃を与える可能性に、一縷の望みを託すことができるかもしれません。そのとき彼の勇気が試される瞬間が訪れるでしょう。
イスラエルはグローバル帝国主義という機械の中心にある歯車です。学者としてであれ政治家としてであれ、この機械を解体しようとする者は、(従来の)イスラエルがアメリカ中心の帝国主義的な世界秩序と切り離せないことに、やがては気付くでしょう。しかしイスラエルは変わることができます。私は、シオニズムの[ユダヤ人国家の建設を目的とする]イスラエルが急速に変貌してできたユダヤ・ファシズム国家がやがて崩壊し、その残骸の中から美しい国家が生まれると信じています。そのとき安全なユダヤ人の祖国という夢は実現するでしょうが、それをもたらすのは武力ではなく、壁や検問所や民族浄化でもありません。本当に安全な国家に、そのようなものは必要ありません。常に戦争をしていることは、安全保障の手段ではありません。
ケネディやトランプが、過去80年にわたってイスラエルがパレスチナの人々に与えてきた恐怖に目覚め、聖地の変革をもたらすために必要な平和的リーダーシップを発揮してくれるという期待が、ほとんど絶望的なのは認めます。もっと理性的な希望は、ケネディがトランプ陣営の中で、ネオコンへの反感と平和への崇敬を確固たるものとし、対イラン戦争というネオコンとイスラエルの計略を頓挫させることです。
思いやりが問いかけるもの
対ガザ戦争の初期の頃に書いたように、私がケネディに失望したのは、彼が間違った側を支持したからではなく、まさに一方の側を支持するそのようなパターンに陥ったからであり、それこそ彼が私たちに乗り越えるよう呼びかけていたものだったからです。ヒーローと悪役を混同していたというわけではありません。彼がこの紛争をそういう視点から見ていたということです。抑圧者と被抑圧者、被害者と加害者という力学がパレスチナで明らかに働いていることを否定するわけではありません。しかし、他の筋書きや他のドラマも可能であり、一方が最終的に間違いを認める以外にも平和への道はあるのです。しかし、一方が他方を救いようがなく交渉の余地もない存在と見なすなら、相手を完全に殲滅する以外に平和はありえず、また相手を殲滅することに成功した側は、その過程で自らの魂を破壊することになります。アメリカ政治の話法との類似性は明らかです。トランプを民主主義の転覆を企む救いようのないファシストとみなす、民主党政権とその熱狂的な支持者たちは、まさにトランプに投影された通りの存在になろうとしています。彼らは民主主義を守るという名目で民主主義を破壊しているのです。
私たちの目指す革命は、その中核に思いやりがあります。思いやりの心が切実に問いかけます。「あなたになったらどんな感じでしょう?」「あなたはどうして今のようになったのですか?」「あなたの物語はどんなものですか?」「あなたの置かれた境遇はどんなものですか?」「あなたの望みは何ですか?」「あなたは何を恐れていますか?」「あなたは何が欲しいですか?」「あなたに必要なものは何ですか?」そして、オーランド・ビショップはこう言います。「あなたが自由になるために、私はどうあるべきでしょうか?」
これらの問いに警戒すべき答えを出すような、本当にサイコパスといえる人物が僅かながら存在することは確かです。しかし全員がサイコパスであるような集団や階級、民族は存在しません。したがって、このような問いは複雑さを生みます。確信を乱し、イデオロギーを崩壊させます。暴力を未然に防ぎます。分断を超え、両極端の間ではなく、その下にある共通の土台を見つけることを可能にしてくれます。問う相手を選り好みして、ある人々を思いやりの輪に招き入れ、他の人々を入れないでおきながら、思いやりの意識の中にとどまるということはできません。ガザの人々や、あるいはイスラエルの人々、あるいはどのグループや政党や階級に対してであれ、それらの問いを発することを控えるなら、あなたは自分の船に密航者を乗せることになり、あなたの運命は決まってしまいます。あなたはいつの日か指揮権を奪われ、もと来た場所に戻るか、あるいはもっと悪い場所へと舵を取らされ、あなたの使命は果たされぬままになります。
もしアメリカの指導者たちがパレスチナに対する思いやりから発した問いを投げかけるなら、そこでの殺戮は数日のうちに終わるでしょう。
パレスチナの歴史と現在に関するイスラエルの強硬な物語を支持することで、ケネディとトランプは同じ意識に染まり、それが二人を受け入れ可能な人間の輪から弾き出してしまいます。安全保障の名の下に何万人もの子供たちを殺すことを受け入れる意識は、文字通りのヒトラーがホワイトハウスに登りつめるのを阻止するという名目で、嘘、詐欺、盗み、法制度の悪用、暗殺さえも許容してしまいます。
悪は常に善の名の下に行われるものです。悪は自らを善だと信じています。戦争は平和なり。自由は奴隷なり。無知は力なり。…
何をすべきか?
では、どうすればいいのでしょうか? 前に私が「なぜ(私がトランプを支持しているかどうか)知りたいのか」と尋ねたとき、私の答は少し寛大さに欠けるものだったかもしれません。人々の一員として私がまだ受け入れ可能な人物かどうか、みんなが知りたがっているというだけではありません。また、急速で劇的な出来事に直面すると、困惑、混乱、眩惑を感じるのも確かです。そんなとき私たちは当然のようにサブスタック[原文が掲載されたブログサイト]のライターに指導を仰ぎます。
それは冗談のつもりでした。… とにかく、私はあなたが誰に投票すべきかを指示するつもりはありません。もっと大事なお願いがあります。
世界は大きな危機に瀕しており、我らと彼らの対決という考え方から、私たちは「今すぐ」脱却しなければならないのです。
自分の政敵を悪者と見なす考え方は、戦争をするために敵国を悪者と見なす考え方と同じであり、民族浄化を促進するために住民を悪者と見なす考え方と同じです。それを放置すれば、内乱と暴力、そして独裁政治へと展開します。第三次世界大戦につながる可能性さえあります。私はここでアメリカ人として話していますが、同じような力学は西側諸国の全域で横行しています。我が国が世界に蒔いた種から免れることはできません。リビアの、イラクの、ベネズエラの、ウクライナの、シリアの、ユーゴスラビアの、レバノンの、ガザの運命は、いとも簡単に我々自身のものになり得るのです。
政治権力者が人道に対する凶悪犯罪を犯すことができるのはなぜでしょうか? 結局のところ、彼らは超人ではありません。彼らにはマグニートーやダース・ベイダーのような特別な力はありません。ですから彼らは、国民を自分たちの抑圧に喜んで手を貸す共犯者にしなければなりません。彼らは恐怖と憎しみの波を次から次へと煽り立て、そうする度に権力の新たな高みへと駆け上がっていきます。ナチスのヘルマン・ゲーリングはこう言いました。「声があろうとなかろうと、国民は常に指導者の言いなりにできる。簡単なことだ。自分たちが攻撃されていると伝え、平和主義者には愛国心がなく国を危険にさらしていると非難すればいいのだ。どんな国でも同じように効果がある。」
いつでも「鬼」はいるものです。ウクライナ戦争の非常識な激化には、悪の帝国(ソビエト連邦)の復活した死体を率いるウラジーミル・プーチンという鬼が必要なのです。西側諸国における監視や検閲、反体制派への迫害の波には、「MAGA過激派」や「ロシアの工作員」、「国内テロリスト」、「危険な反ワクチン偽情報の拡散者」といった鬼が必要なのです。ガザを壊滅させ、そこに住む人々を虐殺するためには、ユダヤの血を渇望する憎悪に狂ったイスラエルの敵という鬼が必要なのです。
あらゆる憎悪に満ちた言葉、非人間的な中傷、嘲笑や軽蔑の言葉、糾弾や非難を公の場で口にすることは、私たちを操って戦争や大量虐殺、ファシズムへ駆り立てようとする権力を太らせることにつながります。そうやって、政治家やメディアは憎悪の手本を示し、私たちはそれに従うことになります。そこには意図すらありません。それが問題なのです。物事はそのように進むのです。私はここで、政治家やメディアを新たな悪と決めつけるわけではありません。「主よ、彼らをお赦しください。彼らは自分の行いを知らないのです。」でも、それが彼らのやっていることです。私たちを分断し、憎しみ合うことを教えているのです。
その手に乗ってはいけません。それが私の願いです。その手に乗ってはいけません。そうではなく、思いやりから生まれ、愛につながる問いをもって、政治の世界に足を踏み入れるのです。それこそが、行うに値する唯一の革命なのです。
(おわり)
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