Journal du 16 août
広い寺の裏の道を抜け、坂の下の喫茶店に入ると、コブラの頭のような椅子に座った。ここら辺は永観堂や平安神宮などの観光地に近い、ホテルが立ち並ぶ一角だから、サラリーマンや地元の人だけではなく、どこか後ろ暗い雰囲気のある中年男女のカップルが来ていたりする。机の同じ側に座って、互いに手の中の何かを見せあっている。表はバスがひっきりなしに停留所にやってきて、観光客でにぎわう観光地だが、小道をひとつ入るとすぐ坂になり、そこは静かな住宅街で、裏山には寺の墓がいくつもある。つつけばいつでも何かが出てきそうな、そんな暗さがある。
店内の入り口にはタバコの自販機がある。これより度数の高いのは置いてないですね、と店員が言う。クリーム色のピースの箱をいくつも持って裏返したりしている、恰幅の良い中年男性。カウンターの横にはショーケースがあり、鈴がなってお客が入ってくると、入り口に「学生諸君の 勉強お断り 店主」という張り紙があるのが目に入った。なるほどたしかに、ここは勉強のために入る喫茶店というよりも、旧時代の雰囲気を楽しむ場所なのかもしれない。旧時代の常識の眼には、ジーンズにサンダルの若い奴がパソコンに向かって文章を打ち込んでいる姿は、はたして勉強しているように見えるだろうか。羽のようなネックレスを着けて。何をしているように見えるだろうか。あやしいことには違いない。実験してみよう。「点Aが時速5kmで、点Bが時速10kmで、全周15kmの円周を走ります。さて、恐竜が生まれてから今までに、点Aと点Bは何回出会うでしょうか。」
「インターネットに接続されていません」。そうだった、テザリングするのを忘れていた。鶴橋駅近くの喫茶店で、実習終わりに作業をしようと思って、パソコンでネット接続せずにブラウザを開いてしまった。「インターネットに接続されていません」の横に、ドット絵のダイナソーがいる。恐竜、恐竜は大きい。ここは、恐竜の足元のように暗い高架の下の喫茶店である。テザリングを完了させてマップを開く。大阪の街をなんとなく把握しておきたいと思って、目印になるような、とっかかりになるような場所にピンを指してゆく。
昨日は昔のオリンピックの男子あん馬を見ていた。やはり内村航平はすごい、針が突き刺さるみたいにピタッと止まる。空中で何回転もして、最後に手を広げてピンと刺さる。
空調の効いた店内から外に出ると、街の熱波が僕の全身を襲う。暑い、早く帰ろう。鶴橋駅から京橋まで環状線に乗り、そこから京阪に乗ってまっすぐ京都まで帰る。電車を降りて歩き、交差点の角を通りかかったとき、視界の端で、店の二階から人が落ちてきたのが見えた。
読書会の後、せっかくだから呑もうとなって、K氏と串カツを食べる。僕は国家試験勉強の指南を受けた。来年の早い時期に模試を受けて、本番の雰囲気や点数配分などを把握しておくのがいい。その感触がわからないままだと明後日の方向に走ってしまったり、直前になって方向修正しようとしてパニックになったりするから。ざっくり把握して、だんだん細かく詰めていく感じか、なるほど。串カツの山を食べ進めて、最後の玉ねぎを追い詰める。玉ねぎは大きく円に切ってあるから、衣が剥がれたところからこぼれてしまう。来週から実習が始まるんだよね。そうだ、もう夏休みが終わる。円盤が追い詰められて、小さく剥がれてゆく。
その日の午後から台風は兵庫の上空を飛び、勢力を落として日本海に抜けた。次の日は夏の日差しが回復し、僕は墓参りに行った。墓石についた赤い水垢をたわしで擦るが、なかなかとれない。水差しの中の水は茶色く濁っているが、これも流すのが大変そうだ。この日差しの中で長時間作業するのは厳しい。残りはまた一年後にしよう。
寺の母屋に帰ってきて、女将さんに挨拶をする。昨日の台風は大丈夫でしたか。それが、うちは瓦の修理をしてもらっている途中でしたから。ほら、表に作業の足組が出ておりますでしょう。それで昨日はそこら中から雨漏りで。そうでしたか。今は何回生になりましたか。僕はもう5回生です。そうですか、最初いらっしゃた時は3回生で、それから随分長い時間が経った気がしますね。どうか、お父様にもよろしくお伝え下さい。はい、伝えておきます。
寺を後にして、とにかく暑さで家に帰る気にもならないから、近くの屋根のある喫茶店に逃げ込んだ。コーヒーもビールも置いてるみたいだ。メニューが雑多である。ギネスビールの、高級化粧品の海外モデルの顔みたいに濃い、泡と黒のコントラストが濃厚なポスター。専用の泡発生装置は円盤状で、そこから超音波で泡が発生する。壺から蛇を出すように、泡が誘い出される。
回り始める。CDが回り始める。赤、白、黄のケーブルをプレイヤーに繋ぎ、コンポのボリュームをゆっくりと回す。円盤をゆっくりと回す、重いものを動かすような抵抗感。眼を閉じて、壺のなかの砂をかきまわすような感触。遠くから細いものが伸びてきて、その感触を壺のなかから引っ張り出すと、それは干からびた蛇、のようなバイオリンの音。
シェーンベルク「弦楽四重奏曲第2番」第4楽章。図書館のメディアシアターという場所で、K氏とオンラインのメンバーと読書会をしている。シェーンベルク、ブーレーズ、ヴァレーズ。ドゥルーズ・ガタリ『千のプラトー』「強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること……」を読んでいて、紹介されている音楽家の曲を聞くために、図書館のこの部屋を借りた。スピーカーが四方を囲んでいて、どこにあるのかわからないような音を出す。ドゥルーズ・ガタリのその本によると、メジャーとマイナーの二つのセリーが、互いに作用を及ぼして変化させ合いながら進むのが「脱領土化」と呼ばれるもので、それが現代音楽にも見られるという。
壺から出てくる蛇と笛の音、これもドゥルーズ・ガタリの言う脱領土化かもしれない。そう思った。すると、シェーンベルクのバイオリンが蛇で、ボリュームを回す僕の手が笛で、僕の手が蛇を掴んだと思ったとき蛇はバイオリンの音になっていて、すると今度は蛇はどこに行ったのだ?
墓の手前の藪からガサガサという音が近づいてきた。そして肩をトントンと叩かれ、僕は驚いてグラスを倒してしまった。グラスが床に着地して、きれいに粉々に割れる。茶色い液体は、コーヒーだ。顔を上げると喫茶店の店員が、「すいません、こちらでのお勉強は遠慮願います」と言った。さっきの喫茶店だった。あのコブラの頭が、僕を見つめていた。
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