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Journal du 14 août

昨日は、寺町商店街のほうを見に行った。日差しがきつい、気分が悪くなりそうだ。蛸薬師通の喫煙所はロープが貼られて縮小されていた。残されたスペースは路上に近いところで、屋根もない。新京極公園の喫煙所に行くと、かつてあった場所から公園の奥に移動されていて、パーテーションで区切られた空間は、夏の日差しが容赦なく照りつけていた。煙草を吸えば吸うだけ気分が悪くなってくる。なんで屋根がないんだ。パーテーションを建てる余裕があるなら屋根を作ってくれ、と思う。屋根がなくて何が喫煙「所」だ。

喫茶店でアイスコーヒーを頼み、いつものようにパソコンに向かう。向こうの席の老人はスポーツ新聞を読んでいる。大谷はまた打ったのだろうか。そういえば高校野球はいまやっているのか、この暑いなかで。

夕暮れ時、少し散歩しようと思って、京都芸術大のほうを通り、東鞍馬口通の踏み切りに引っかかる。電車が通り、線路が軋む。敷石の床がしずむ。よく見ると敷石というのはしっかりしている。あれだけの重量物が動くのを支えるためには、これくらいの力士くらい強そうな石が必要なのだろう。踏み固められた土俵のように、数億年の歳月をかけて押し固められた石が、採石場から切り出されて、線路に敷かれる。かつて陸の底にあった石が、表面の床になる。

小学生の頃に通っていたピアノ教室は、線路沿い細い道に入り、そこから線路を渡ったところにある。線路のあいだに板が敷いてあり、そこを渡ると、赤茶色の小さな門がある。そこをくぐったところがピアノ教室だ。月謝の入った封筒を抱えて、前の人のレッスンが終わるまで、居間で待つ。ピアノの音が途切れ途切れに聞こえてきて、その緊張の糸を震わせるように電車の轟音が鳴り響く。僕はドラえもんの『海底鬼岩城』を読んでいた。

ピアノ教室で楽譜の読み方を習った僕は、ピアノの練習はそっちのけで、五線譜に絵を書くみたいに記号を敷き詰める遊びに夢中になっていた。ピアノの練習はやりたくなかったし、やらなかった。それで先生に叱られても、しょんぼりはするけれど、家に帰るとけろっとして、すぐお絵かきモードに入るくらいには図太い少年だった。シャープ、フラット、ナチュラル、ト音記号、四分音符、四分休符、家のあらゆる楽譜をかき集めて、見つけた記号を片っ端から書き込んでゆく。楽譜を弾くことは考えず、五線譜をただ真っ黒にするのが楽しかった。家にある楽譜を渉猟していて一番の発見は、何よりも、線は五本しかないのではなくて、任意に上や下に書き足せるということだった。上に下にどんどん階層を継ぎ足していける。今まで天井だと思っていたものが、底になる。底だと思っていたものが、天井になる。それは天地がひっくり返る革命だった。

海ほたるから東京湾を眺める。その光景を僕は覚えていない。なぜなら僕はまだ二歳だったからだ。海ほたるに行ったとき僕は二歳だった、このことを知ったのは今年の大晦日に帰省したときだった。僕が昼前に東京に着いたその足で、家族で木更津のアウトレットに行くことにした。車で湾岸線を横浜方面に下り、東京湾アクアラインを潜る。海ほたる、東京湾に浮かぶ人口島。海の下を道路が通っていて、人がそこを行き来しているとは、すごいことだ。調べたら、海ほたるの開業が九七年で、僕は九八年に生まれている。二〇〇〇年に僕を連れていったと両親が言うから、僕が二歳の時だ。その時はまだ僕は横浜に住んでいた。
僕らの車は海ほたるに寄るつもりだったが、駐車場が満車で入り口まで渋滞していたので、そのまま木更津へ向かった。暗いトンネルの中、ナトリウムライトが現れては去っていき、やがて太陽が見えたと思うとそこは木更津だった。一度も地面から離れることなく東京湾の反対までジャンプしてしまった。今回も海ほたるから東京湾を眺めることができなかった。見えるはずの東京のビル群。天井に天井がつづき、底に底がつづくような、万華鏡のような世界だと、僕は東京を想像していた、子供の頃は。

タバコに火をつける。喫茶店の前を、救急車が通り過ぎる。アイスコーヒーの底に、空気孔のように白いストローを刺して、その液体を引き上げる。今は正午まえ、明日は台風が関西を直撃するらしい。机に置いてあるタバコのパッケージには、デザインの上に線が引いてあり、そのから先は何か文章が書いてあって、妊娠・不全・出生・危険などの文字が並んでいる。タバコの箱が逆さだから上手く読めない。

木更津のアウトレットは予想どおり混雑していて、駐車場に入るまで三〇分待ちの行列だった。一方僕は、最後に新幹線の喫煙所で吸ったタバコが切れかかっていて、タバコをどこで吸うかを考えていた。車の渋滞の先にセブンイレブンが見える。家族には、そのままの言い方で吸ってくるとは言えないから、コンビニのトイレに行ってくると言って車を降りた。交差点の向こうにある駐車場から、インターチェンジにつづく道路まで、車が行列している。大晦日なのに。こんなのおかしいと思わないのだろうか。東京は狭いということには、東京の外に住んで始めて気がついた。

どこにでもある銀の円柱の灰皿の前で、タバコを吸う。なぜ家族にはタバコを吸っていることを隠さなければならないのだろう。いや、家族はみな僕がタバコを吸っていることは暗黙の内に知っているのだが、それは暗黙の内にしまっておかなければならないという圧が働いている。タバコ吸いを公言すべからず、タバコを吸う姿をおもてに出すべからず、という圧。この圧も、東京の外に住んでから意識し始めた。京都よりも東京の方がこの圧が高いと感じるし、実家の中はより厳しい。

各々がおかしいと思い始めて、ついに我慢できなくなって、いつか革命が起こるのだろうか。僕がついにブチギレて家のリビングでタバコを吸い始める日。人々が耐えきれなくなって行列に並ばなくなる日。
しかし、人が社会のおかしさに耐えきれず革命が起こる前に、まず地球が我慢ならなくなり、人類は滅びるかもしれない。地殻変動が起きて、東京は海のしたに沈む。店に並んだって、並ばずにコンビニの喫煙所でタバコを吸ってたって、すべて沈む。木更津アウトレットに続く渋滞はついに解消せず、そのままの形で海に沈む。喫煙所の陰でタバコを吸っている僕も、居心地悪そうな口元のままで沈む。東京、横浜、木更津の魔のトライアングルは、自らの魔力によって底なしの海へと消滅していくのだった。

コーヒーミルが回り、茶色い豆がすり潰される。正午の喫茶店。老人はスポーツ新聞を読みかけでたたみ、ボンゴレロッソを豪快にかき混ぜながら食べる。帰ったら洗濯物を干さないと。

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