Journal du 6 au 14 septembre
9/6
夕方に季節はずれのミンミンゼミが鳴いている。涼しくなってやっと出てきたのか。
9/8
台風がきているらしい。太平洋の上、水蒸気が列島に流れ込む。夜の冷蔵庫を開けると、白い気が漏れてくる。ペペロンチーノを食べる。ベーコンの旨みってなんなのだろう。何かが溶けるような、大地に染み込んでゆくような感じがある。
さっき買ったはずのタバコの箱が見つからなくてイライラする。シャツのポケットの中に見つかって、入れた覚えがなくてさらにイライラする。しかし、イライラもいつかは鎮火して、何にあんなにイライラしていたか、わからなくなる。
二日前に買った肉が冷凍庫にあり、今からそれをしゃぶしゃぶにしようとしている。
9/9
祖母が育てているパパイヤの写メを、家族ラインに送って、母親や妹たちと盛り上がっている。うちの家族ラインはいつもこの調子だ。しかしリアルで会うと、僕と父親もそれなりに喋る、話題によっては。
川床に帷子の大人が、涼しそうだった。まだ九月だもんな、まだ川床を楽しめる季節だ。しかしパパイヤか、マンゴーパパイヤバナナという歌があったのような気がする。
残暑とはいえ、まだ暑い。この暑さには、どこか付き纏うようなしつこさがある。休日だから喫茶店に行く。自転車で家の近くの道まで帰ってくると、子供が二人歩いていて、背中に"Backspine"とプリントされたTシャツが目に入った。新しいアスファルトが敷かれた駐車場、駐車場になるまえに何があったかは思い出せない。
オレンジ色のタクシー。最近の流線型の車に混じって古いセダンが走っている。タクシーが通り過ぎてその背中が見える。その背中もフロントと同じように顔を持っている。何かの間違いで後ろ向きに走り出したとしてもおかしくない、と思った。
切りがついたところでパソコンに向かうのをやめて、一旦タバコを吸うために立ち上がる。鞄から箱を取り出して中を開けると、タバコがない。しまった。喫茶店で吸った最後の一本のときに、帰りに買わないとと思っていたが、そのことを忘れていた。どうしたものか、気分転換しようとおもったのだが、仕方がない。冷蔵庫を開けて、冷凍の焼鳥をレンジにかける。レンジの三分のあいだに、洗濯物をあつめて洗濯機を回す。
ピーピーピーと電子レンジが鳴り、レンジの扉を開けたとき、勢い余って卓上塩にあたって落としてしまった。「パリン」と、瓶の割れる正直な音がして、白い砂がさーっと床に広がった。あーあ、これは大変だ。なるべく踏まないようにして箒を取りに行かないと。白い砂を飛び越えて向こう側に行こうとしたとき、ガリッという音とともに足裏に何か丸いものが潰れる感触があった。やばいと思って、即座に、水槽の貝だ、と思った。水槽の中で飼っている巻き貝がいるのだが、そうだ、水槽の蓋を締め忘れて出てきたのかもしれない。もうこれ以上何かが出てこないように慎重に、おそるおそる足を引き上げてみると、床には白い砂があるだけで、足裏にも貝殻の破片のようなものはついていない。ただの塩の塊を踏んだようだ。よかった、と全身の力が抜ける。
撒き散らした塩を片付けて、焼鳥を食べる。しかしタバコが吸いたい。焼鳥にタバコがないのは、辛いものだ。
9/10
夕方からドゥルーズガタリ『千のプラトー』の読書会がある。範囲のレジュメを担当しているので、夕方までに仕上げないといけない。わからない箇所に留まらない。底なし沼を四駆で駆け抜ける、止まったら死ぬ、と思う。抜書きは終わった、読書会一時間前だ。ワールドコーヒーにいって仕上げよう。
W氏がラインで新宿南口の写真を送ってきた。W氏は学会発表で東京に行っているのだ。その写真を見て、すぐに新宿南口だとわかる。ルミネ、ミロード、バスタ、パークハイアット東京。
パノラマが低い天井によって上下に絞られていて、その分明るい採光によって室内は黒飛びしている。おそらくスーツを着た学生と教師がいたはずである。高校の卒業パーティーだったと思う、それはパークハイアット東京だったと思う。どこまでも続く関東平野のだだっ広さ、ビルは高い。
会のあと、同級生たちと歩きながら新宿駅に向かった。東大に行く子たちが”TLP”という言葉をしきりに発していた。入試英語の成績上位1割はトリリンガル教育を教養課程で受けるという東大独自のプログラムらしい。いや、英語の塾の卒業パーティーだったかもしれない、たぶんそうだ。東大では、そうやって自分を世界に広げていくような教育を受けるわけだ、とただ思った。東京のビルは高い。
9/11
三色ボールペンを探したい。ジェットストリームの三色ボールペンが気になる。文房具店で試し書きをしたいのだが、近いところだと、生協だな。散歩がてら行ってみるか。
Ankiのアドオンでimage occlusionを追加してみた。これはすごい、革命が起きたかもしれない。
放置された空き缶を鳴らす雨粒について。
9/13
実習を休んで、夕方まで寝ていた。休んだ理由は?疲れが溜まっていたので。起きて、シャワーに入り、ベッドシーツと枕カバーを洗濯する。タブレット状の餌を切り分けて、コリドラスに与える。予め切り分けてあれば、取り合って喧嘩になったりしない。
点々で知っているのではダメ、皆が知っていることを知らない人が国試に落ちる。皆が知っていることをすべてカバーするように勉強しなければならない。と、産婦人科の外来でエコー検診を終えたY医師は僕らに言った。実習の課題のためにアマゾンプライムでドラマ「コウノドリ」第六話「タイムリミット 最後のチャンス」を観る。あとはあらすじを考察を書けばいいだけ、観るのは終わった。全画面を閉じ、タブを切り替えることで、気分を切り替える。机のうえにはメモが残っていて、「子宮筋腫」「シングルファーザー」「マタハラ」とある。
晩ごはんを買いに行かなければ。O氏と、来週月曜の引っ越し後のバーベキューの予定を相談する。カレンダーを見ると、その日は敬老の日である。
9/14
病院という腐海を出て、すぐさま喫煙所に駆け込む。こんな毎日スーツを着る生活は初めてだ。スーツというか制服というか、ユニフォームを着る生活が来るとは思わなかった。
焼肉屋で僕が「召喚」という言葉を使ったから、話の流れで、そのあとコンビニでマジックザギャザリングを買うことになった。「ネズミ」というカードがあって、そんなのありかよと笑った。本棚や服の類で狭かった六畳ワンルームのO氏の部屋は、引っ越しの準備中で、スーツケースや整理途中の本で余計に狭くなっていた。カードを各々三枚づつ持ち、膝のうえにカードを召喚する。カードがスーツケースに詰め込まれる。
部屋を片付けていて昔のHDDを見つけたというので、その中に入っている映画研究会時代に自分たちが撮った映画をみる。一つ一つのシーンをきちっと完結させてしまっているな、今の僕だったらもっと隙のある編集をするだろうと思った。そういえば研究会の先輩に、加藤くんはきれいな画を撮るなぁ、と言われたことがあったが、あれは君の映画は映画じゃなくて写真だ、と批判されていたわけだ。
自分たちの映画を見たあと、五条の銭湯までの道中をカメラを回そうとなって、最終電車に乗った。先頭車両には僕ら三人のほかに人はいない。長い座席に対角に座った二人を、視点をスイッチさせながら撮る。電車が動き出し、地下鉄駅のホームで、最後尾が通り過ぎてしまうまえに。
窓を開けて、室外機の音と虫の声を部屋に入れる。夜こそまだ夏だと思いたくなる。ところで、ドラマを見て考察する課題が出ているのだが、やりたくない。残っているものにこそ価値がある、と言いそうになってしまったが、課題はやりたくない。
アマゾンプライムを開き、その横にメモのウィンドウを開く。見て、書けば、課題は終わる。しかしやりたくない。さて、この瞬間に何が「残っている」のか。窓が複数開かれた部屋。窓が複数開かれていてもなお部屋であるような部屋が残っている。
ここで僕は、ウィンドウとウィンドウの間に焼き鳥にマヨネーズをかけたものをセットする。僕と課題の愛おしきマリアージュ。カレー粉を振る。
(日本語:3043字)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?