Journal du 3 août
その喫茶店は運河に面していた。思い出せる限りでは、その名前に"F"が入っていた。仕事を早めに切り上げて一五時ごろにその喫茶店に入る。タバコの煙が熟成されて木の燻い香りだけが残ったような古い匂いがする。それは、換気をしていない部屋の、壁に染み付いたタバコの匂いがもう一度空間に溶け出したような古い匂い、二週間の和歌山の滞在から帰ってきて最初に感じた「自分の」匂いと同じだった。ちょうどそこから運河が見える窓際の席に座りアイスコーヒーを注文する。海に近いこの街は夏は京都よりも涼しくて過ごしやすいが、自転車でそれなりの距離を移動するとやはり暑くて、アイスコーヒーを飲みたい気持ちになる。メニューにはナポリタンやパンケーキが載っているが、ランチを過ぎてしまっているので注文できない。アイスコーヒーだけで我慢しなければならない、というほどの我慢を強いられているわけではないが、冷たいシャーベットなどがここに加わったらより良いのに、そしてそこに淡い黄色のレモン汁がかかっていたら良いのにと思う。
どこにでもある黄色の百円ライターでタバコに火をつける。机の上に勉強道具を出して作業を開始するが、何となく外の景色が気になってしまう。ゆっくり流れる運河の水面が見えて、その向こうにソルベのように柔らかく崩れてしまいそうな雲が見えた。あの雲がこちらにやってきて雨を降らせるということはないだろう。運河に架かる鉄橋と水道管はミント色をしていて、僕はあそこを自転車で通ってみたいと思った。
***
日曜日、休日だから仕事もなく、水曜日までいた友人たちは特急にのって帰ってしまい、独りになった僕は、自転車を走らせて西の海岸に向かっていた。工場地帯を左に見ながら、紀ノ川大橋を渡る。大きな橋である。長い橋である。それは川が広いからだ。両岸には葦が広々と茂っている湿地があり、そのあいだをゆったりと、僕は自転車を漕ぐ。紀ノ川が流れていく先、工場地帯の向こうにはもちろん海があるのだが、僕が向かっているのはもっと西にある浜辺である。しかしどちらの海も海に変わりはない、というのも来週の日曜にこの海で花火大会が催されるらしいのだ。橋が終わると小さなビジネスホテルが見えてきた。僕の和歌山滞在は来週の金曜日までだが、この偶然に出会ったビジネスホテルにもう二泊して、無為な時間を過ごしながら日曜の花火大会を待ってみるのも悪くないかもしれない。
西の浜辺に着いて、四五〇円の缶ビールを飲みながらサーファー達を眺める。"super dry"の両側に架けられたクォーテーションマークを見て、自分じゃなくて夏を中心に生きろ、と言われている気がする。今日は三連休の真ん中の日である。
(日本語:947字 44分)
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