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Journal du 15 août

家にコーヒがないので、近くの公園の自販機まで買いに行く。風は昨晩から強くなり、高い木が大きく揺れている。折れた枝が頭に当たって怪我したら大変だと思いつつ、コーヒーがなければ仕方ないので、買いに行くしかない。小さな枝の揺れが、公園をつつむ森のあちこちにガサガサと伝わっていき、ボリュームのつまみを思いきり回すように限界まで振り切って、轟音の頂点がピューピューと抜ける。やかんが沸騰したので、カップのワンタン麺にお湯を注ぎ、コンビニで買ったメンマを添える。これが今日の僕の朝食だ。
今日は台風が来ている。どこも店は閉まっているから、家に閉じこもって作業する日になりそうだ。カップ麺と米と冷凍の焼鳥を買っておいたので、明日まではこれでなんとかなるだろう。洗濯機の上にカップ麺や野菜が積まれていて、今にも崩れそうだ。

昨晩、コンビニにタバコを買いに行った帰りに、ある美容室の前を通りかかった。そこに通ったことはないのだが、普段はクリーム色のカーテンが降ろされているはずのウィンドウが、ガムテープがベタベタに貼られていた。閉店してしまったのか。建物はがらんどうで、看板の切り文字を固定していたボルトの跡だけが残っていた。

「ハンガーベタベタ」と書かれた張り紙。引っ越す前の家の近所に旧地主の屋敷があり、その前の公道に張り出されていたものだ。その道はもう公道になってしまったが、かつてはその半分までが屋敷の敷地だったらしく、道路を拡張したい自治体・地域住民サイドと地主のあいだで一悶着あったらしい。結局その地主を説き伏せるかたちで道が作られたのだが、土地を奪われたという恨みがくすぶっていて、道路の上に黄色いペンキで線を引き、この線からはみだした車は、粘着テープを巻き付けたハンガーでベタベタにする。そういう張り紙である。三年前に久しぶりにその土地を訪ねたとき、その屋敷の母屋があった場所はコインパーキングになっていて、納屋だけになっていた。コインパーキングは、ひっそりとしていた。

オレンジのナトリウムランプが、車内を照らしては過ぎ去ってゆく。車は時速100kmで走り、運転席の友人は額にあせうかべてハンドルを握る。轟音に負けないように、僕は大声で携帯に向かって話している。今すぐ来てくれ、前をはしる五トントラックの荷台が、今にも崩れそうだ。下り線、Sトンネルの出口に向かっています。荷台を覆うモスグレイのシートが、固定する紐をビリビリと震わせて、風をうけて膨らんで、おばけのように今にも僕らに襲いかかりそうだ。この一車線のトンネルが終わるまで、どうか耐えてほしい。僕の命は今おまえにすべてかかっているのだ。シートの紐を通す穴の銀の金具。

銀の穴がキーンと鳴って、僕は白紙の答案を前に鉛筆を握っていた。教室の前の時計は、試験時間の終わりを告げていた。答案用紙を後ろから集めてください、とネクタイをした試験監督が言う。鉛筆を握ったまま固まっている僕の後ろから、ガサガサという音が近づいてきた。その音は次第に大きくなり、窓がガタガタと揺れ、カップ麺の山が崩れ落ちた。僕は、大学三年次の後期試験に、白紙で、落第した。


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