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フィクションという名のリアリティ~クララとお日さま~

これまで僕は小説というものをほとんど読んでこなかった。
読書をする習慣自体はあるけれど、小説だけはなかなか読まず、書店でも漫画コーナーと小説コーナーだけは立ち止まらずレジへ行くような、そのくらい読まなかった。(ちなみに漫画は「LINEマンガ」で読んだりしている。)


WEBマガジンの編集者をやることもあり、公私共に身近には小説を読む人が多かったけど、どうしても「フィクション感」というイメージが先に来ることがあり、「良作」すらも原作は読まず映画で済ますなど。

これまでの自分の人生において、小説の優先度は低かったのだろう。しかし、先日起きたあることがきっかけで、一冊の本を手に取ることにしてみた。

その本があまりにも自分の中で衝撃的なものになったので、似合わず、書評じみたことを書いていくことにする。

※ネタバレしないように書いていきます。


人口知能搭載型ロボット「クララ」視点で描かれる物語「クララとお日さま」

まさに最近発売されたばかりのカズオ・イシグロ「クララとお日さま」という小説。

人工知能は進化とともに人間を超える。
AIが暴走をし、人間を制圧してしまう。

そんなノンフィクション、フィクションが多い中、僕は近い未来にAIによる日常生活への影響などまだまだ現実味を感じることができない。


しかし、この本では人工知能搭載ロボットの「クララ」が主人公であり、クララ視点で物語がかたられる。ネタバレになるので物語自体には触れないが、物語はクララが目に入るモノを感じ、吸収し、記憶していきながら、その時に起きたことに対し考え、自分には何をすることができるのか、最善の行動は何か、登場人物の性格や背景なども踏まえて決めていく様子が描かれている。


時には「心(感情)」に近いものを抱き、悩んだり、恐れたり、だけども「心」というものを完全に理解するには、膨大なデータの把握が必要なこと、その先にゴールがあるのかどうか?というところまでクララは考えるわけだ。

そうやってヒトと過ごす、クララの描写はとてもリアルで、読みながら頭の中でイメージが明確に湧いてくる。


この「クララ視点」の表現はとても面白く、時には起きているコトに対して、読んでいる側は「あれ?」と思うクララの判断の未熟さ(AIとしてまだ学習途中)もあれば、物語上描かれていない人の心境などに対して、推測なのか確信なのか断言してしまうような発言などもしていくわけだ。

小説を普段なかなか読まないが、その「クララ視点」に夢中になっていき433ページの長編でも数時間で読んでしまった。


クララは最新型のAI搭載ロボットではないこと

物語の主人公である「クララ」は最新型の人工知能搭載ロボットではない。
作中には、最新型も出てくる、その最新型との比較もとても面白いが、この物語は最新型ではなく、準新型のスペックをベースにしていることで、クララの魅力、特別感が表現されている。

「最新型」に機能面では劣るクララだが、勝っていると思えるところが作中に描かれていて、それがこの物語のテーマにも大きく関わってきているのだろう。

僕自身、このクララというロボットは最新型でないからこその人間らしさを読んでいて感じたのかもしれない。


フィクションという名のリアリティさ

この小説を読みながら、自分は「小説はフィクションだから・・・」というイメージを持っていたことをより反省した。

ビジネス書や学術書、エッセイ、様々なジャンルの本があるが、それぞれがそれぞれの真実を語ろうと表現しているものでもあり、その作者のこれまでの経験や見て感じてきたものの表現の違いであって、小説にしても同様なのだと。

アートにしても映画にしても同じで、あることに関しての作者の喜びや怒り、葛藤などが表現されているのだろう。

それは物語の時代背景や表現技法などにも現れ、フィクションであってもリアリティさを感じることができる。

「クララとお日さま」は、シンギュラリティをリアルに描きながらも、その中にある人間の本来の美しさも感じることができる、まさに今読んでおくべき一冊だった。










東京出身。7年間の沖縄移住を経て三重県津市へ。沖縄移住応援WEBマガジン『おきなわマグネット』元編集長。神社メディア『sanpai. 』運営。Webデザイン、マーケティング、他制作ディレクションなどを生業としています。年間200社ペースで全国の神社を参拝しております。