研究の指導教員の選び方など――――――フランシス・クリックの場合
研究の指導教員の選び方など――――――フランシス・クリックの場合
20世紀後半に活躍した著名な研究者のうち、ジェームズ・ワトソンは(DNA二重らせんモデルの提唱者の一人)は、若い科学者の卵むけに、進路の選び方、テーマの選び方などをアドバイスした論説を執筆しています。明確に言語化されているのでこれは参考にしやすいでしょう。それを未読の人はこちらをごらんください。
ジェームズ・D・ワトソン(1993)科学で成功するためのいくつかのルール(Some Rules of Thumb)|高橋泰城 (note.com)
それでは、彼の共同研究者であったフランシス・クリックはなにかそのたぐいの文章を執筆しているでしょうか? 彼の自伝「熱き探求の日々」(原題 What mad persuit)を紐解いてみましょう。この本では、彼が物理学の学生だったころから、第二次大戦時に海軍の研究所で働いた後、生物学へ転向するまでの経緯も記されています。その際、まだ博士号を取得していなかったので、そのための指導教員をどうやって探し当てたかも述べられています。
まず、なぜ生物学をはじめたかについてです。
「海軍本部にいたおかげで、海軍将校のなかに何人か友人がいた。ある日彼らに、ペニシリンなど抗生物質の最近の進歩について熱弁を奮っていた。その時、それは『ペンギン・サイエンス』などの雑誌で仕入れた知識に過ぎず、抗生物質については自分は何も知らないのだ、という事に気づいた。自分はサイエンスの議論をしているのではなく、ただのゴシップ談義をしているのに過ぎないと感じた。この閃きは、まさに私にとって神のお告げのようなものだった。人は真底興味をもったものの噂話で盛り上がるものだ。そこでゴシップテストというものを思いついた私は、迷わず自分の最近の会話にこのテストをあてはめてみて、自分の興味ある分野を二つに絞った。生物と無生物の間の問題と、脳の仕組みとである。」
このように、クリックは30代のときに、自分の雑談内容を分析して、物理学よりも生物学、脳科学に興味が移っていることに気が付いたそうです。
そのとき当時とても有名だったハミルトン・ハートリッジという生理学者から、面談の誘いをうけ、彼の研究員としての就職を進められたそうです。しかし、ハートリッジは「いささか威勢が良すぎ、一緒にうまくやっていける自信がなかった」そうです。特に気になったのは、「自分で研究をすすめていった結果、指導教員であるハートリッジの間違えを指摘する必要が出てきた際に、彼が物分かりよくその意見を認めてくれそうにない」ことだったそうです。(実際、その後、彼の仮説の誤りが証明されたそうです)そこでクリックはハートリッジのもとで研究員として就職することをやめて、大学院生として生物物理をやりはじめることにしたそうです。
以上から、学生さん向けの教訓として2点をまとめてみましょう。
①自分が勉強時間以外におしゃべりする際に、どんな話題が多いかに注意をむけてみましょう。おそらく自分に向いた研究分野はそれに関連した学問のはずです。
②指導教員を選ぶときは、有名な人だという理由でえらばず、「威勢がよく、自分の考えの誤りを指摘されるのを嫌う」人ではなく、「物分かりの良い」人を選びましょう。