【自己紹介】高校までを振り返る
はじめまして。渡辺泰綺と申します。
今にしか抱けない感情だな、言語化したいなって思うことってたまにありますよね。そんなことをnoteに記録しておきたいなって思って始めました。最初の投稿ってことでとりあえず自己紹介していきます。
現在広島大学の情報科学部2年生で、学業も頑張りつつ「ひろナビ」という広大生向けのインスタを主にやってます。ビジネスの話は今後別の投稿でやると思うので、今回は大学入学までをメインにお話します。
生まれも育ちも福島県で、伊達市っていうド田舎で高校まで過ごしました。
知らない人には驚かれるんですけど、実は双子なんですよね僕。この双子の片方(弟)という存在に僕は影響を与え続けられました。幼稚園まではもちろんずっと一緒で、小学校になっても田舎で1クラスしかないのでずっと一緒でした。何をしても同一視されるし比べられるし、ずっとストレスを抱えながら生きていたと思います。とはいえ、同級生がずっと一緒みたいな感覚もあるので、遊び相手に困ったことないし、自分を1番理解してくれる存在でもあるのでプラスの面もたくさんありました。今振り返ると、双子だったから僕は常に「誰かが必ずそばに居た」そんな環境で育ちました。
《小学校》
小学校に入った僕は、兄の影響もあり3年生から野球を始めました。地元のクラブチームで、小学生なのに硬式ボールを扱うリトルリーグというところだったので、結構本気で野球してました。土日はどっちも丸1日リトル行って、平日は遊び呆けるというルーティンでした。僕にとってこの小学校の時期の野球の経験がとても大きくて、監督・コーチの話を毎回ちゃんと聞いて飲み込んでたし、ずっとキャプテンをしてたこともあり、考え方も行動も大人だねって言ってもらえることも少なくありませんでした。
「周りに左右されてはいけない」「自分の道は自分で決めろ」、今の僕の個性なのか尖りなのか分からないですが、そんな考えを持つようになったのは小学校の頃からでしたね。
《中学校》
1つ目の転機は中学校の頃にやってきます。ずっと一緒だった弟と離れることになるんです。学校ではクラスが別になり、野球でも僕は部活で弟はクラブチームに行くことになりました。もちろん家では一緒ですよ。小学校でリトルやってた奴は中学校もそのままクラブチーム行くのが普通なんですけど、僕は弟と離れたいあまりに部活に入るって決めたんです。当時は「やっと離れられる」そういう感覚でした。
でも実際はそんな甘くはないんですよね。今までは良くも悪くも一緒に見られてたのが、中学校に入って離れたことによって、比べられることが多くなりました。勉強の成績は順位が出るし、野球でも弟はクラブチームで頑張ってるのに僕は部活。正直潜在能力でいったらほとんど弟の方が勝っていて、弟は成績も学年1位で野球も僕より上手。「お前は下だ」なんて直接言ってくるやつはいなかったけど、中学校になってどうしても可視化されちゃってずっと悔しかった気がします。とはいえ、一般的にみたら僕も賢い方だし野球も下手じゃ無いし、恵まれていた方ではあります。悔しさはずっとありつつも、遊んで誤魔化しながらなんとか過ごしていました。
そんなこんなで高校受験の時期がきて、2度目の転機がやってきます。僕は福島県で1位の福島高校への受験を決めるんです。理由はいくつかありますが、弟に対し「いつか逆転してやる」といった思いがあったんじゃないかと思います。弟は野球のこともあり、賢いのに自称進の高校に行く選択をしました。もうチャンスですよね。高校は上のところ行くしかないと。僕も極端な性格なので、行くなら1位のとこでしょって感じで必死に受験勉強しました。俺だってやればできるぞと魅せたかったですね。親とか先生からは「ほんとに行くの?」なんて言われたりしたけど、黙って見てろと思って頑張りました。結果は無事合格できました。こんな僕が発表の掲示板の前で嬉し泣きしてテレビに抜かれたりしたんですよね笑。でもそんくらい必死だったし、「頑張ったら出来る」という快感を覚えた出来事になって、これも僕にとって大きな経験でしたね。
《高校》
コロナ禍のなかで福島高校に入学しました。高校では最初野球部に入るものの、辞めてソフトボール部に入ります。正直高校の部活からは学びを得たことはないです。唯一あるとしたら、僕は辞めるという選択肢を取れる人間だと気づけたことです。結果的に小3から高3まで野球には携わってきましたね。
高3の夏に3度目の転機がやってきます。コロナ禍で出来ていなかった文化祭が初めて開催されることになり、受験期だけど僕らはみな気合いが入るわけです。そこで仲良い男子グループ集めてジェットコースターを作ることになります。よくある話じゃんって思う人がいるかもしれません。でも違うんです。クラス企画ではなく有志でやりました。そして会場は高校の中庭。全長約30m程のコースを作り、レールで走るジェットコースターを作ったんです。よくあるジェットコースターとは格が違います。興味ある人は「福島高校 ジェットコースター」でYouTubeで調べれば出ます。ショート動画は41万回再生されて、ロング動画(これ見れば凄さ伝わる)は約8000回再生されてます。設計から発注から許可取りなど全部自分たちで1からやって、当日何百人って人に乗ってもらいました。これが初めて自分で何か生み出して人を喜ばせるという経験で、これお金取っていたらビジネスじゃんってなった出来事でした。何か新しいことをするってのも楽しいし、苦労したけど完成したらそれ以上の喜びが返ってくるし、という感覚を覚えました。今はその感覚が欲しくて活動してるのかもしれません。
見事文化祭を成功に納め、そこから半年必死に大学受験に向けて勉強したわけです。
【最後に】
そんな福島での生活を経て、現在広島大学にいるわけです。福島からなんで広島?って思いますよね。それはまた別の投稿で話せたらと思います。僕の将来の夢が絡んでるわけです。
楽しくなっちゃって長々と書いてしまいましたが、最後まで読んでくれた方ありがとうございます。こんな背景のなか今があります。これからもっとたくさんのこと話していけたらいいなと思うのでよろしくお願いいたします🙏