「紀州東照宮」参詣録【和歌山県・和歌山市】
紀州東照宮は和歌山県和歌山市にある神社です。 1621年に徳川家康の十男徳川頼宜により父家康の慰霊のために名勝和歌浦に創建されました。狩野派他一流の絵師、彫士らによって制作された一級品の彫刻や絵画、極彩色豊かな色彩をまとった社殿など、「関西日光」の呼び名に相応しい佇まいで 江戸初期の建築物として国の重要文化財にも指定されています。ご祭神は徳川家康(東照大権現)と徳川頼宜(南龍大神)の二柱で 心願成就、病気平癒等のご利益があるとされています。・・・と言うわけで今回は「紀州東照宮」の参拝レポです🙂👍
紀州東照宮
紀州東照宮は和歌山県和歌山市和歌浦西にある神社です。徳川家康の十男徳川頼宜(紀州藩初代藩主)により1619年起工~ 1621年に完成しました。父親である家康の祀り天下泰平と五国安寧を願い、名勝和歌浦を望む小高い山の上に創建されました。🫡
御本殿は、侍坂と呼ばれる108段の石段(実際数えると110段ありました🤔)の上に鎮座してており、精巧な左甚五郎の彫刻や狩野・土佐両派の絵画・壁画で飾られた極彩色に輝く社殿の荘厳で豪華な様から「関西日光」とも呼ばれています。東照宮7棟(本殿、石の間、拝殿、唐門、桜門、回廊他)は、江戸時代初期の建築物として国の重要文化財に指定されています。また、桜門も関西随一との誉れが高い朱塗り極彩色で彩られています。🙂
地元の人々に歌い継がれた和歌の浦の歌でも「和歌の浦には名所がござる、一に権現、二に玉津島、三に下がり松、四に塩釜よ!ヨイヨイヨイトナ~」と古くから「権現さん」の愛称で親しまれています。ご祭神は徳川家康(東照大権現)と徳川頼宜(南龍大神)の二柱。そう、権現さんとは徳川家康のことです。死後家康は神格化され その神号は「東照大権現」。その本地仏は「薬師如来(東方瑠璃光如来)」とされています。そのため 心願成就、病気平癒などのご利益があるとされています。🤓
ご祭神
紀州東照宮へのアクセス
■所在地
〒641-0024 和歌山県和歌山市和歌浦西2−1−20
■交通アクセス
境内マップ
紀州東照宮境内の散策には、
以下のURL:
トップページ > 境内・拝観のご案内>境内案内図
から参照できる「境内案内図」が参考になります。
参詣_往路(鳥居~侍坂~桜門~神輿舎~社務所~唐門)
鳥居前からスタートです。🙂👉⛩️⛩️⛩️
参詣_復路(拝殿~本殿~弁財天~稲荷大明神~権現不動堂)
本殿を参拝しましたが、中は撮影禁止だったため勿論撮影していません😟 代わりに紀州東照宮公式HPに挙がっている画像を以下に掲載します😓(雰囲気はそこそこ伝わると思います)
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・・・紀州東照宮参詣録はここまで。
感想
東照宮と言えば 誰もが栃木県の日光東照宮を思い浮かべると思いますが、これは二代将軍秀忠(家康の三男)が家康の遺言に従って建立した東照宮。一方 紀州東照宮は十男の頼宜が自ら父家康の慰霊のために建立した東照宮です。いずれも徳川家康(=東照大権現)を祀る宮で「東照宮」なのですが、実は家康を祀る”東照宮”の名が付く神社は全国に20社以上。更に社名に”東照宮”がなくとも 家康を祀る神社は全国に100社以上と言われています。😮
ここ紀州東照宮は、日光東照宮のような圧倒的な絢爛豪華さは無いものの、見事な彫刻、絵画、極彩色に彩られた社殿を構え、いぶし銀・・・いや、そこそこ金くらいに荘厳な豪華さを醸しだしている立派な東照宮だと思います。まぁーそうは言っても、地方のお宮さんならではの落ち着いた雰囲気とこぢんまりとした神社の良さもあります。😊
参詣者に自分の足でしっかり108段の石段を上らせ(それこそ近所にある紀三井寺のようなケーブルカーやエレベータまで完備された近代的な神社に比べ)一段上るごとに煩悩を落とし石段を登りきったところで「ここは極楽浄土か!?」と錯覚させる程の極彩色豊かな本殿を参拝できるのですから・・・そんな非日常体験が味わえますよ!🙂👌
最後まで本記事を読んでいただき、ありがとうございます。😌
まとめ
おまけ
人の煩悩の数(=108)と同じ段数の侍坂。石段を上ることで 一段一段煩悩を落として行き 清々しい心でお参りできるとされています・・・😌
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