「美山かやぶきの里」散策録【京都府・美山町】
「美山かやぶきの里」は、京都府南丹市美山町北にある かやぶき屋根の民家が多く集まる山村の集落です。「かやぶき民家」はその多くが江戸時代~(約200年前~)に建てられたもので、今なお人々が住み続けています。😮豊かな自然に囲まれ 四季折々の風情を映し出す美山町北は1993年に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、今では年間20万人以上の観光客が訪れる人気のスポットです。かやぶきの里では 毎年春と秋に地域住民の火災予防講習と放水銃の一斉点検を行っており、かやぶき屋根の家屋に水のアーチが織りなす景観は見ものです。・・・と言うことで、今回は「美山かやぶきの里(一斉放水)」散策レポです。🙂👍
美山かやぶきの里
美山かやぶきの里北村は 京都府南丹市美山町北にある山村の集落です。ここは1900年代初頭まで 福井県若狭湾から京都へ物資を運ぶ輸送路であった「西の鯖街道」と呼ばれる街道が通っています。🤔約150年前(明治)~220年前(江戸)の頃に建てられたかやぶき屋根の家屋が多数残されており、集落の家屋の8割がかやぶき屋根です。😮(京都丹波高原国定公園~美山の森~に指定されています)また歴史的景観の保存度が高く評価され、1993年12月8日に 国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。🙂現在は住民らの出資で設立した「有限会社かやぶきの里」が、歴史的な景観・建造物の維持管理や観光施設の運営を担っています。🤓
◆かやぶきの里一斉放水
美山かやぶきの里では、2000年に不審火で家屋が焼けたことを切っ掛けに、毎年二回(春と秋)に地域住民の火災予防講習と放水銃の一斉点検を実施しています(防火用放水銃の点検が目的ですので、雨天でも実施されます)。全面に水のカーテンで包まれる幻想的な山里の風景は 壮観な眺めです。🫡
●2024年美山かやぶきの里一斉放水の予定
春の放水:5月20日(月)実施済
秋の放水:12月2日(月)
美山町北へのアクセス
■所在地
〒601-0712 京都府南丹市美山町北
■交通アクセス
(1)JR京都駅から京阪京都交通バスで110分
(2)JR日吉駅(山陰線)から南丹市営バスに乗り換え「北」で下車/ JR京都駅→JR日吉駅(44~52分)、JR日吉駅から南丹市営バス→北(56分)
(3)京都縦貫道 園部 ICから約40分
かやぶきの里散策マップ
かやぶきの里の散策には 「美山町観光情報サイト・京都美山ナビ」/
トップページ>各種ダウンロード>
にある各種マップが便利です。👆🙂👇
例えば、
トップページ>各種ダウンロード>ビジュアルマップ かやぶきの里
から参照/DLできる「美山かやぶきの里」のマップを以下に示します。
かやぶきの里散策(知井八幡神社~鎌倉神社)
上記マップの左下(大型駐車場)からスタートです。🙂👉⛩️
鎌倉神社
かやぶきの里散策(普明寺~(北)稲荷神社~美山民俗資料館)
続いて普明寺へ移動します。🙂👉TERA!
普明寺
(北)稲荷神社
・・・・
美山民俗資料館
一斉放水
11時30分から一斉放水開始です。里内にいる人は里外へ出てくるようアナウンスされます。🙂👉OUT!
11時半を少し過ぎると・・・
・・・一斉放水は約7~8分位続きました。とにかく里全体に水のカーテンが下りたようで・・・里のあちこちから立つ放水アーチ、その数見えている所だけでも50以上(実際は62基)が 同時に動く景観はなかなか圧巻でした😆
・・・美山かやぶきの里散策録はここまで。
感想
京都府美山かやぶきの里。約200年も昔に建てられたかやぶき屋根の家屋、それを大切に保存しながら、現代もなお住み続けている集落の人々。日本の原風景を残す集落と言えば白川郷を想起させますが、美山かやぶきの里(=1993年)、白川郷(=1976年)、共に重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。(白川郷は1995年にユネスコ世界文化遺産にも登録され、「茅葺き職人の技」は2020年にユネスコ無形文化遺産に登録されています)🙂
このような伝統的な古式の建築様式で建てられた家屋の集落がなぜ現代まで棄てられず残されて来たのでしょうか?白川郷の村は日本有数の豪雪地帯であり 嘗て秘境とも言われ、冬季に周辺との交流を遮断して来たと言う歴史があります。ある意味「外部との交流を遮断して来た」と言う鎖国状態であれば、外界から大きく影響を受けず現状維持し続けられたのかもしれません。
一方、美山かやぶきの里はこの地が西の鯖街道中継地で 都に物資を運ぶ道/都から文化がもたらされた道があり外界との交流は盛んでした。ただ 若狭地方から京都へ物資を運んでいたのも1900年代初頭までで、鉄道開通とともに物資輸送は街道に頼らないものにシフトして行ったようです。1900年初頭と言えばまだ明治時代であり 辛うじてかやぶき屋根の家屋が建てられた時期に重なりますが、以降 都会の近代建築様式が普及するまでには至らなかったのでしょうか?いや だとしても、日本全国でかやぶき屋根の家屋が失われていった現実があり、鯖街道衰退とかやぶきの里の存続には余り関連性は無いように思われます。🤔
ここで間違いなく言えるのは 地元住人が伝統的なかやぶき屋根の集落を残して行きたいと願い、その強い意志が引き継がれていると言うことです。現状の生活を良くするため、負担を軽減するため、子孫への負の遺産を遺したくないため・・・と全国の町村から姿を消して行った「かやぶき」。同じように この里に住む人々が生活の利便性だけ、コスト負担軽減だけしか考えない人々であれば かやぶきの里は現存していなかったでしょう。不便さ、費用の負担増、保存維持の大変さ・・・諸々のことを背負ってもこの土地に住み続けているのは この里に誇りを持ち この里らしさを守ることの方が、「かやぶき」を棄てるより大事なことだと村人らの中で共有できているからではないでしょうか?🤔
百人余りの住人が住むこの村は限界集落と準限界集落を行き来する過疎集落です。それでも村人らは「かやぶき」を維持する苦労を考えるのではなく、「かやぶき」を守り活かすことを考える方が、未来に新たな希望が開けると信じ決断されたのではないでしょうか? かやぶきの里保存会・会長の中野氏は語ります。「この暮らしの風景が続いていくように、次世代にバトンタッチできる環境をつくることが僕らの仕事。大変ではありますが、誇りを感じていますし毎日充実しています」と。🙂👍
最後まで本記事を読んでいただき、ありがとうございます。😌
まとめ
おまけ
かやぶきの里を散策して印象に残ったところを2,3挙げます🤔