恋空(2007)
恋が始まる。しかし男には顔がない。ケータイの通話で男のイメージは分散していく。そしてお互いが繋がってる証拠は空の写真だけになる。
この映画には物語上の技法(顔)がない。唐突に恋がやってきて、レイプされて、子供がやってきて、子供が死んで、病にかかった男が死ぬ。そのあいだをつなぐ技法がない。言い訳がない。
川と海の対比。二人目の男は海の比喩で語られる。海、深いもの、留まるもの。しかし海は川に負ける。川、連れ去るもの、止まらないもの。そして川は空にまで越境して戻ってこない。
まるで一人目の男は死ぬべきであるかのようだ。なぜ死ななければならないのか。それは彼が恋-空という特権性を維持するためにだ。恋は愛に、海につながってしまってはいけないという神経症的な倫理。恋は子供を失うし、後にも子をなさない。恋の領野は女を気軽に突き飛ばすような暴力が跋扈する場所だ。そこにおいて死は携帯電話を通じてしか経験できない。死の偉大さは画面に写し取られ、媒介され、霧散する。人の涙を誘うためだけの死。見せしめの死。
そしてゼロ年代の子供たちは恋以外に居場所を持たなかった。恋は愛につながらず、恋は子をなさない。ミカは家族で家に帰る。空に見張られながら。そして帰る家に子供はいないのだ。
・印象に残ったセリフ集
「元気ですか?わたしは今でも空に恋をしてます。」
「あなた誰?」/「だから内緒だって。」
「あいつもうすぐ死ぬかもしれない。癌なんだって。」
「川より空になりたい。ミカを気付ける奴がいたら飛んでいってボコボコにできる。」