じじ心からありがとう。#6
2021年8月18日(水)
僕のおじいちゃんが77歳で天国へと旅立ってしまった。
最後のお別れをしに北海道へ帰省してきました。
僕は今回が人生で初めてお通夜・火葬などの葬儀を経験しました。
こんな形ではありましたが、久々に家族全員で集まる機会がありました。
僕がじじ(おじいちゃんのことを「じじ」と呼んでたのでここではじじと話させてください)と最後に話したのは、
年末に北海道に帰省してたときに、福岡に戻る日に「行ってくる」と話したのが最後でした。
正直帰って、じじが棺桶に入って一生の眠りについている顔を見るまでは実感が湧きませんでした。
じじが生きていることが当たり前なんかじゃなかったんだと感じる瞬間でした。
じじとの記憶がちょっとずつ蘇ってきます。
じじが平和ビリヤードというお店をやっていた頃の光景や、
じじがよくお菓子をくれに家に帰ってきたら、
必ず僕たちのところに立ち寄ってくれてました。
「そうか」といって笑顔で僕の話を聞いてくれたあの顔。
全てが当たり前なんかじゃない。
北海道に帰れば、今年も、来年も、再来年も、
会えることが当たり前だと思っていた。
でも、そんなことは当たり前じゃなかった。
人とは失ってから初めてその大切さに気づきます。
もっとなにかできたんじゃないかと、
もっと大学のこと、
もっとサッカーのこと、
話したり一緒に過ごす時間を大切にできたんじゃないか。
何かできることがあったんだと思えばキリがないくらい出てきます。
でもそれを思ったところで何も変わりません。
だからこれからをどう生きるか。
これを考えるしかありません。
じじの死を経験し、学んだことがあります。
まず1つ目は、人生とは限りあるということです。
人生とは死に向かうこと。
これを改めて身をもって体感することができました。
いくら口で言ったところであまり感じることができませんが、
このじじの葬儀を生で経験し、心から感じることができました。
人生とはじじであれば77年しかなかったんです。
どんだけ生きたくても、
2021年8月18日が最後だったんです。
じじが何を思って死を迎えたのか。
それは誰にもわかりません。
でも、最高の人生だったと思っていると思います。
僕も最高の人生だと思って死ねるか。
それはこの「今」にかかっています。
この「今」をどのようにして積み重ねていくかで、全てが変わります。
僕は正直このまま進んで言った先で最高の最後を迎えられるかと考えれば、
そうではないと思います。
だから何かを変える必要があります。
僕が思うに、
自分の生きたい人生を生き切ると覚悟を決めること。
これが何よりも大切であると感じました。
人生の主人公は他の誰でもなく自分自身である。
この身体に魂が宿っているのであればこの命を燃やし尽くすことは
自分にしかできないのです。
誰かの人生を生きるのではなく、
せっかくこの人生を与えられたなら、
自分が生きたいように生き、やりたいように選択し、好きなように生きて、
心から最高と思える人生を歩むと決め切ることが一番であると。
そして、生きている。
これ以上に幸せなことはない。
これ以上に奇跡はない。
生きている時間というものがどれだけ尊いものか。
生きている。
この時間をもっと大切に、
そして少しでも笑って、笑顔で毎日を過ごすと決めた。
命は限りある。
だからこそ美しい。
限りある人生を最高のものにすると決めた。
2つ目は、何を感じどう捉えるかが大切ということ。
このじじの死を受けて、
ただお通夜に参加し、葬儀に参加し、
福岡に戻ってきて、なんとなく過ごす。
こんなことも可能だと思う。
でもこのじじの死を受けて、
命には限りがあると知り、
改めて自分の人生を見つめ直したり、
この死をきっかけに自分を変えるきっかけを手にすることもできます。
1つの出来事から、どれだけの学びを得られるか。
人生を進められる人と、進められない人の違いはここにあると感じました。
僕のお母さんはこのじじの死を受けて、色々なものを感じて、
ある決断をしていました。
ここでは詳しくは話せませんが、
「じじの死」から自分なりの意味を与え、
もっと人生をよりよくするために決断したわけです。
これがものすごく大事であると思います。
運がいい人と運が悪い人の違いをみなさんは知っていますか?
結論を話すと、
それは気付く能力が高いか低いかだけの話なんです。
DaigoさんがYoutuberのヒカルさんと話していた内容のことです。
まず、
質問「あなたは運がいいですか?」という質問に対して、
いいと思う人と悪いと思う人に分けます。
この人たちを全く同じ道を歩かせて、カフェに行って珈琲を飲んで歩いて帰って来てもらう。という実験がありました。
その道には仕掛けがしてあって、道端にお金が落ちていたり、カフェには誰でも知っているような有名人が座っている。
運がいいと思っている人は、
お金が落ちているお金により多く気づき、有名人にもいち早く気付きやすかった。
この実験でわかることは、
全く同じ道で、全く同じチャンスなのにも関わらず、
運がいいと思っている人は落ちているチャンスに気づけるわけです。
同じものを見て、同じ景色の中からそうした運のいいことを気づけるのは、
その人自身の運がいいと思っている姿勢にあると思います。
この姿勢で1つの出来事から入ってくる情報も変わるわけです。
だからこそ、普段過ごす姿勢こそが、学びを深める要素の1つになる。
日々起こる全ての出来事を自分の人生が前に進むように捉える姿勢を持ち、
自分なりの気づき、学びを得て、
次のアクション・決断に生かすことが大切である。
最後に、
この帰省を通して、素晴らしいものを学べた。
生きている。
これ以上に素晴らしく、幸せなことはない。
これがどれだけの幸せなことなのかを心の底から感じられた。
家族との時間、
サッカーしている時間、
仲間と遊んでいる時間、
全てが当たり前なんかじゃないし、全てが奇跡。
これを胸に刻んで、これからも生きていく。
じじ本当に今までありがとう。
心から感謝してる。
じじの孫で本当によかった。
そしてじじの「死」から沢山のものを学べた。
だからこそ、もっと最高の人生にするために今日も生きる。
自分にはまだ今日を生きられるチャンスがあるから。
俺は誰に何を言われようと、
自分が生きたい人生を生き切ると決めた。
僕の人生はすでに最高だ。
そして僕自身もある決断をした。
やるよ。
人生を突き動かすそんな大学最後の半年になる。
夢を夢のまま終わらせない。
夢は叶えるまで諦めない。
自分の可能性を信じ、
どこまでも挑戦する。
全ての人に可能性がある。
やろう。