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末寺の末事 306
僕はどーする?どーしたい?
本音を言えば、どーでもいい。放っておいてくれないか、何にもしたくはない、ってとこ。でも、自らに由ってそんな自由はない。
泣き言や戯れ言は気楽で、酔いしれても心地好い。問題は具体的にどーすんのかだ。
が、もうひとつ。
『倶会一処』という言葉がある。仏説阿弥陀経に由来する言葉で、人が亡くなった後、浄土で仏となって再び会う『ともにひとつの場所で会う』ことを顕している。浄土真宗を信仰している者にとっては、そのネットワークの深さ、絆の強さを示す言葉とも言える。
しかし、現世でバラバラの人々が、浄土でGood-byeさよなら再見アディオス♪また会う日までラララ~ヘイッ!ってなるだろうか?
「倶会一処?マジ?ウザいっしょ」じゃないのか?
一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり
…怖いよ親鸞さん。
to be continued
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