末寺の末事 90
もうむしろ、フワッとでいいんじゃないか?
救われるとか、満ち足りるとか言うと、何かが無いみたいに聞こえちゃうけど、何が無いのかも解らないんだよ。心なんだから。フワッとしたもんだ、概念だもの。
信って、本物になるまでただの自惚れだし、事実となればなったで、それは信から知となって、知性で理解する世界は、「苦悩」でもあるワケで。真実になってくると、信仰上は単なる知識じゃなくて、覚者の智慧ってことで、人間の信なんていうのを超越した心に、救いや満足があるんでしょうね。解らないけどね。解らないから信じるしかない。
信仰の前には全員が馬鹿でいられる。みんな幸せだ。その為に真の信にすがってんだから。
裸の王様はバカだから、「立派だ」と持て囃されれば得意になるし、「裸だ」って言われれば恥ずかしくもなる。素直に人に振り回され、教訓として語り継がれるって、幸せなのかもしれないよ。
to be continued