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末寺の末事 237

 まいったね、こりゃどうも。言葉がなくて、ヤケになってら。法を聞くのも念仏するのも、自分のところに固定できない。こっち側にない証なのかもしれない。わからない。頭のいい人ならできることなのかもしれない。僕には無理なだけかもしれない。

 言葉…というか、文字ってば、固定する為に存在するけど、それってやっぱり永遠ではないし、それを言うと絵にしても音にしても普遍性はないから、空しくなるよ、実際。

 綴れども綴れども、色褪せて綻び、やがては崩れて砂となる。

 仏教とかその他諸々、口伝に重きが置かれてきた理由って、その辺なんだろね、きっと。
 一刹那を切り取った痕跡というヒントでしかない。どんな教養も情報も固定された瞬間から腐敗が進行する。

 宗教の信仰も、腐敗の進行も、止まると加速する。煮詰まってグチャグチャになって、水気が飛んだら干からびて、化石化して、やがては崩れて砂となる。

to be continued



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