末寺の末事 212
正誤や善悪を説くつもりはない。けど、傲りが躓きに繋がる要因であることは伝わるのではないだろうか。
こちらの尺度で何か全てが図り知れるとするところにあるものは、幸福ではなくて苦悩ではないだろうか。
図り知れない、解り切らない。こちらの思議を超越するものと対峙したならば、そこにあるのは、それを真として信じるか、そうではないと疑うか。どっちかだ。
価値を測るモノサシは自分持ちなのだから、試しに自分を測ってみればいい。規格外過ぎて測れる部分など、どこにも存在し得ないことに気づくだろう。
だから相対的なものに頼らざるを得なくなるわけで、そこには自分なんていないんだから、自分なんて忘れるくらいに無我夢中になって、誤魔化してないと不安でしょーがなくなるし、どーにもならなくなったら、残るのは不満だけなんだし。
今更、引き下がれんって年寄り染みた気持ちも、解るよーな気がする。
to be continued