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末寺の末事 239

 インパクトだ。言葉が目に飛び込んで、脳内物質の栄養素となったり、有害因子となったりして、やがて融けて反応は一如となる。
 そこに疑いはなく、そこに至るまでの道のりはスタイルであって、工夫でもある。
 自然の法則性に準じただけ、純然たる調和のコントロール、洗脳とか催眠とか暗示なんかの類いと線引きしたきゃすればいいし、ゴッチャにするならそれも仕方ない。些末なこと。

 反応だし、作用だし、それはつまり、刺激に他ならない。大いなる矛盾でもあって、安らぎという刺激を求めている。モーレツに刺激的な安心。これってバグって刺激の方に傾倒する。その安易さ解りやすさからだろう。

 馴化した。より強い刺激を享受して振れなくなることを安心とは呼べない。そりゃ麻痺だ。

 感覚は麻痺する。視野は偏って、思考は矛盾する。だから余計に中心に何を置いて生きるのかが、大きなウェイトを占めると感じている。

to be continued



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