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末寺の末事 62

 昔から恐れと怯えが常に背中に居て、刃物を突き付けられているような感覚があって、時々それを忘れていられるくらい楽しい時間があると、その時間が過ぎていくことが、たまらなく寂しくなった。

 今でも旅行に行ったりすると、家に帰りたくなくなる。『寺に生まれた』から。家が寺だから。非現実的な現実が、現実になりそうな距離にあるのに、すぐそこの非現実は『寺に生まれた』現実に飲み込まれて、帰宅する。

 俗人にも、僧侶にも、ましてや何者にもなれなかった僕は、仏になんか成れるのか?先ずは人間として、「ちゃんとしたい」。煩雑な状況を整えて、心を落ち着かせたい。それだけなのに、『寺に生まれた』ら、そうもいかなかった。

 フィルターに晒されて、あるべき姿や、あらねばならない姿という概念の型に、収まりきらない心の余剰分が『生きづらさ』となって、具体的に何もできないまま、時間だけが刻々と酷々と。

to be continued



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