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非高齢化社会(日本沈没)


 現在この国は、空前の超高齢化社会となって約18年が経過。少子化の異常な勢いも相まって人口転換理論上でも、多産多死の段階(明治維新以前)→多産少死の段階(明治~昭和30年半ば)→少産少死の段階(昭和30年以降)と着実に歩みを進めてきた。

 さて、ここまでくると、何処もかしこも老人だらけ。過疎地は勿論、田舎だけに留まらず、
都会のスタバやマックですら、必ず老人が幾人かいる。若者だけで空間構成されてはいない。

 …が、本当に高齢化しているのだろうか?

 …というのも、年寄りらしい年寄りを見かけない。老人だらけなのだが、年長者足る人物が少ないように感じてしまう。見た目や雰囲気も若々しいが、滲み出る知性や品格のようなものが稚拙。アンチエイジング効果なのだろうか?いつまでも子供心を忘れないつもりだろうか?眼前の重要問題はすぐに忘れても…。

 この国の未来は若人の手の中にない。この国のこれからを担うのは高齢者なのだ。
 若い人がしっかりしないといけない!なんて発想はナンセンスの極み。若者がしっかりしたって仕方ない。高齢者がちゃんとした高齢者にならなきゃ、どーにもならない。
 これまでの高齢者たちがやってきたような、自分さえ良ければ善し。上手く立ち回って逃げ切れば問題なし。下手こいたヤツが負け。負けたら氏ね。みたいな年長者らしからぬ感覚の、若人もどき老人ばかり、このまま増え続けたら本当にどーにもなんない。…と、高齢者自身が自覚して欲しい。というか、(すべきだった。)が正しい。

 未来は年寄りの手の中。なのに年長者として尊敬に値する人物が、あまりに乏しい。

 残念ながら、みんな若々しい。どこが高齢化しているのだろうか?これでは高齢化社会じゃなくて、まるで弱(若)体化社会じゃないだろうか?社会構造の幼児返り、変態老人の赤ちゃんプレイではないのか?

 この国の最大且つ最重要問題は、経済成長でも環境問題でもない。少子高齢化一択と思う。というか、(思っていた。)が正しい。高齢者が増加することや、少子化が進行することが問題の中心ではない。最大にして最重要問題とは、人がいなくなること。というか、(日本人消滅)が正しい。

 もはや問題という表現が手遅れで、馬券なら既に購入済み、もう馬は鞭を打たれ、ゲートを飛び出している。つまり悩む要素がない。決定された現実を受諾するだけ。未来は若人の手の中にはない。馬畜生に人間の声援や祈りが通じたとして、神風でも吹けば話は別かもしれないが…。
 賽は投げられた。カウントダウンは止められない。表現はどうでもいいが、日本人の絶滅、国家としての日本の終末が、近い将来に於ける確定案件であることを、疑う余地はない。
 人がいなくなるのだから対策などできない。増え続ける高齢者対策の正解なら、奪い取るか殺す。減り続ける少子化対策の正解とは、強制妊娠。こんな非人道的な正論を述べることができるのはKYなAIくらいだろう。この国に対策はないし、できない。指導者として指揮する政治家や、率先して活躍するべきのポストが、問題の高齢者。この世のリーダーはいつも年寄り。

 この国が沈没した理由は、不況でも地震でもなくて、大人が大人になりきれなかったことだろう。もっと言うなら、ヒト科の動物が人間として成長できなかったことだ。
 そうして、そういうヒト科の老人がヒト科の若人を育ててきた結果、この国に人間がいなくなった。

 このことを熟知・熟考して、いま未来の為に動くのは若人ではない。それが可能だとすれば高齢者だけだ。若人にできるのは、いつの時代も破戒のみである。

>2025年1月末現在

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