末寺の末事 151
尼講とは仏婦OB、要するにお婆ちゃんの集団です。ここに過去が詰まっていて、彼女たちがやってきたことが現に在る仏婦そのもの。
で、空転する仏婦は、頑なに過去からのしきたりに習って、同じことを同じように勤める。意味を求めたりはしないのが主義。
嫁姑とかカビの生えた文化が活きてた頃なら、それでも良かったんだろうけど、今は通用しない。
そして、この尼講ですら、実のところはとうの昔に化石化して機能はしていないのです。
先ずはやはり家庭レベルで各々の関係性が成立しなくなった。つまり子供が帰ってこない。子供が結婚しない。子供が孫をつくらない。ご婦人は母から祖母になり損ねたまま、次いで肉体が劣化し、活動できない状態になり、実質的にはそれらを認めない前坊守(母)が、できることはさせてもらうと一人で切り盛りして、活動していることにしてしまっている。無理矢理。
ここが仏婦の根本。
to be continued